4/4 なかったことにされちゃうよ

なかったことにしたくなかったので、産んだ。昨日でくまは5歳になった。

 

5年前、正確にはもう少し前だけど、あの夏、くまが私たちのところにやってきたのは、本当に突然のことだった。生理が来なくなって、こっそり妊娠検査薬を買って、都会のショッピングモールで試した。赤い線が出てきて怖くなって、すぐにダストボックスに捨てて個室を出たけど、やっぱり信じられなくてもう一度ダストボックスを漁って確認した。けど、本当だった。駅のホームでパパと友人ひとりにこのことをメールした。

 

親に告げるのは一週間後にしようと決めた。母がとても楽しみにしてるライブがあるから、それが終わってからにしよう。ライブは心置きなく楽しんできてほしかった。
一週間の間に作戦を練った。どのタイミングで告げて、親に病院に付き合ってもらって、いつパパが我が家に来て、親に説明するのか。
パパは何も言わずに私の作戦を聞いてくれた。そもそもパパが私にこうしてほしい、ああしてほしいという要望はなにも伝えられなかった。産むにしろ産まないにしろ結婚するにしろ結婚しないにしろ、全部わたしがこうすると決めたことにパパは沿うだけだった。それがパパなりの責任の取り方だったのかな、といまは思う。

 

親への説明はパパも両親も仕事が終わってからということになったので、23時頃に行われた。私はバイト帰りでお腹が空いていたのでマクドナルドのダブルチーズバーガーセットを食べながら聞いていた。両親やパパが産むだの産まないだの話をしているところで、一人むしゃむしゃとポテトを貪り続けた。いろんなことが大きく変わろうとしていくのが怖かったんだと思う。いつも食べてる大好きなマクドナルドで誤魔化したかったのかもしれない。

 

そんなこんなで結婚し、くまが生まれ、5年が経った。あの頃私はまだ20歳の誕生日も来てなくて、結婚生活や家族を作ることに希望もなければ絶望もなく、寧ろ全く想像したことのないまま、始まってしまった。

どうして産むことにしたかって、なかったことにしたくなかったからだ。自分のお腹に命があったことをなかったことにして、生きていくことを想像したら怖かった。もし本当に子どもがほしくなったとき、「なかったことにした」ことに耐えられるか分からなかった。忘れてのうのうと生きていくことが怖かった。他には、インターネットで天国へ行った赤ちゃんへのメッセージが綴られている掲示板を見た。ごめんね、という言葉がたくさん並んでいて、閲覧したときもリアルタイムで言葉が更新されていっているのがリアルでとても怖かった。

あの頃のわたしは産むのも怖かったし母親になるのもめちゃくちゃ怖かったけど、誰にも言えなかったけど、10年後にはしあわせだったね、って思ってやる、いまは大変かもしれないけど、絶対間違ってなかったって言ってやる、と思っていた。10年もかからないよ、割りとすぐ幸せだって思うよ、ってあの頃の私に教えてあげたい。

 

くまを生んで2年後くらいに知った、大森靖子さんは「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲で「面白いこと 本当のこと 愛してるひと 普通のこと なかったことにされちゃうよ なかったことにされちゃうよ」と歌っている。くまを迎えようと決めたあの頃よりきっとずっと前から、なかったことにする/しないことは、私にとって大事なことだったのかな、とこの曲を聴くと思う。そしてなかったことにしなくて本当によかった。

 

お誕生日おめでとう。お誕生日パーティー、まだできてないから今週末にでもしようね。