「さよならだよ、ミスター」のこと

8月23日に横山だいすけさんの「さよならだよ、ミスター」(おかあさんといっしょのうたのおにいさんを卒業して、はじめてのシングル!)がリリースされた。とても優しくて、大丈夫だよと包み込んでもらえたり、少し背中を押してもらえたりするような曲だと思う。CDも買って、くまとたくさん歌っている。子供と同じ曲を好きになって一緒に歌えるのはとても楽しい。

関東の方ではリリイベも行われて、特典会としてハイタッチ(実際は15秒程度の握手会だったそう)ができて、わたしもだいすけお兄さんと接触したい!!!!!!とiPhoneの液晶の前でひとり興奮していた。けれど、リリイベには3000人ほど来たこと、横山さんは暑い中疲れた顔一つ見せずにずっと笑顔だったというレポを読んだら、私の欲望まみれの接触したい気持ちは消えて、ただただ休んでほしくなった。歌ってくれるだけでとてもうれしいので無理はなさらないでほしい。いやそれは嘘だな、できたら、直接聴ける機会が少しでも多いとうれしい。
 
リリースされてから日が空いてしまったけれど、今更ながら「さよならだよ、ミスター」の感想を書くことにする。今日はMステにも出演されて、笑顔いっぱいで、表情豊かに歌を届けてくれて、ちょっと泣いてしまった。とてもよかった。(感想の前に、期間限定のMVを貼っておきます)
横山だいすけ 「さよならだよ、ミスター」-動画[無料]|GYAO!|音楽

この歌は横山だいすけさんと本田紗来ちゃんのふたりで歌われていて、作詞作曲はいきものがかり水野良樹さんがされている。この曲は(だいすけお兄さんのブログやインタビューなど色んなところでお話をされているが)「親から子への旅立ちのエール」がテーマだ。
私が初めて聴いたのは、世界迷作劇場の舞鶴公演のアンコールのときだ。「きみはしあわせになるためにうまれてきたんだから」というフレーズが、とても心に残った。親から子供へのエールがテーマだけど、私は自分に送るメッセージのように聴いていた。子供にもこんな風に声をかけてあげたいけれど、自分自身にだって、これくらいあたたかい言葉をかけたい。

「きみはしあわせになるためにうまれてきたんだから」なんて、簡単にストレートな言葉で書かれていて、疑いもせずストンと心に入ってきたのは、歌ってるのが横山だいすけさんだったからだと思う。
横山さんは、9年間おかあさんといっしょのうたのおにいさんとして、テレビを通して歌を届け、色んな家庭に関わっていた。どんなときもいつも元気で、明るく楽しく進行してくれる番組。そんな場所に立ち続けてくれていただいすけお兄さんに、伝わりやすい全肯定の言葉を書いた水野さんすごい。今までのだいすけお兄さんの歌聴いてたら、わたし、しあわせになるために生きてるんだ〜!って信じてしまうから。

 

それから、シングルがリリースされて、何度も何度も繰り返し聴いたし、くまと歌ったけど、感想を書くために歌詞をもう一度読み始めた。ひとつひとつの言葉が「きみ」を全て肯定していて、とても強い言葉たちが並んでいるなと改めて感じた。でも、歌詞を見つめすぎて、(語弊があるかもしれないが)疲れてしまった。聴いている時はただただ肯定される側の立場で、元気をもらっていただけだったけど、いまは肯定する側のことを考えていたからだ。どうやったらこんな風に肯定できるんだろう、私はこんな風に子どもを送り出せるだろうかと将来のことを考えたり、「しあわせ」という言葉が歌詞に三回出てくるのでその言葉について考えたりしていたら、言葉たちが強すぎて、自分に重くのしかかってくるような気がした。こんな風に私にはできないかもしれないなあ………。
 
でもそういう難しいことをやってみせたのがだいすけお兄さんと紗良ちゃんの歌声、水野さんの音楽なんだな、と「さよならだよ、ミスター」を再生して、はっと気づいた。
イヤフォンから流れてきた言葉や音楽に、私が考えていたような重みは一切なかった。ネガティブな気持ちなんて少しも含まれていなかったし、歌詞だけ読んでいてもなにもわからないんだ、とすぐに思った。イントロから、トランペットとパーカッション、ピアノやストリングスの明るい音が響いてる軽快なメロディー。何が始まるんだろうっていうわくわくした気持ちになった。そこにだいすけお兄さんの柔らかくて優しい声が流れ、サビで紗良ちゃんのかわいいコーラスが乗ってくる。頭でっかちに考えすぎてたのが、ゆっくり綻んでいくような気がした。歌詞だけ読んでたらあんなに苦しかった、全部肯定することも簡単なように思えた。なんだ、子どもに対して「大丈夫だよ」ってただ一言言えばいいだけなんだな。
こんな風に横山さんの歌声は、いつもむずかしく考えなくていいよ、もっとシンプルなことだよって教えてくれるような気がする。とってもやさしくてあたたかくて、何かを強制してくる怖さや痛さなんて絶対なくて、石みたいに硬くなってしまった心を解してくれるような、あっ、もっと私って自由だったんだ、って選択肢が広がっていくような、そんな感覚になる。

この歌は「全肯定」というよりも、「祈り」のような曲なんだと思った。全肯定はできなくても(できればしたいけど)、きみのしあわせを祈ることなら、私にもできるかもしれない。自分にはできないと思わせるような場所に、たぶん横山さんはいない。「さよならだよ、ミスター」からは、明るくて優しくて爽やかで、ちょっぴり淋しいけれど、ただただきみのしあわせを祈ってるぼくの姿が見えた。「ぼくはずっときみを想っているよ」