からあげがたべたい

父方の祖父が亡くなった。少し前に肺炎を患って入院して、8月ごろに会った時は車椅子に乗っていたが、みんなで中華料理屋に行き、生ビールを飲んでいた。最近父と父の妹が交代で寝泊まりしていると聞いていたことや知人が亡くなったことも受けて、祖父母の家に遊びに行くことにしていた。当日は親戚も何人か来て、宅配ピザを食べる予定だった。

遊びに行く当日の朝、電話をもらって「ピザなににする?」っていう話かなと思いきや「おじいちゃん心臓止まったから病院に来て」だった。ピザじゃなかった………………。慌てて家を出て病院に向かった。こういう場面で病院に呼ばれるのは初めてだった。母方の祖父の時は老人ホームで眠っていると思ったらいつのまにか息を引き取っていたので、会ったのはもうお葬式の時だった。車に乗ってる間、大変なのは祖母や両親や叔母なので、私が泣いても仕方ないと思いつつもこわかった。おじいちゃんがどんな姿になってるかもわからないし。管に繋がれているんだろうか。そもそもくまもびっくりするだろうし、なんて説明をすればいいのか。あと喪服がパパの実家にあるから送ってもらわなくっちゃとか。病室に案内してもらった時、祖父はもう亡くなっていた。口を少し開けて、眠ってるみたいだった。くまは怖がって顔を見ようとしなかった。そりゃそうだね。祖母はあんたが今日来るっておじいちゃん待ってたんやけどな、と私に言った。間に合わなかったね。でも日曜日だったから従姉妹もいたし、近い親戚はみんなすぐに来られたよ。病室にうちの両親の姿がなかったので聞いたらコンビニでご飯を買って食べてるというのでそっちに移動した。祖父の様子を確認したのでひとまず、朝ごはん、にしたのだろうか。このタイミングでよく朝ごはんを食べる気になったなと思いつつ両親のところへ行くと、母親が前日から体調を崩してなにも食べられていなかったらしい。完全に虫の知らせ……。くまは弟にびびって一向に近寄ろうとしなかった。祖父が今日運ばれた病院は弟が急性アル中で運ばれた病院らしい。この日の話をこれからする度にこのこともずっと言われ続けるんだろうなと思う。もう一度祖父の顔を見て、祖父母の自宅へ戻った。祖父は警察で死因を調べられるそうで、明日のお昼過ぎに自宅に戻ってくるらしい。くまが「……ピザは?」と聞いてきて、くまからしたらイマイチ事の重大さがまだわかんないよね………と思いつつピザは中止になったことを伝えた。父親にだいすけお兄さん結婚したらしいやんと言われ、こんなときまで心配させて申し訳ないなと思った。全然落ち込んでないしご祝儀の支払先を探しているところだよ。祖父母の家に戻る途中、ラジオから殺人事件で流れてくるようなBGMを聞いて今じゃない感がすごかった。自宅で亡くなったので警察の人が来ていろんなことを調べにきた。事件性や虐待がないかの確認だけど、警察も大変だし祖母も根掘り葉掘り聞かれて地獄だった。老人ホームや病院で亡くなるとこういうことは省かれるらしい。その後お昼ご飯のお弁当を何人かで買いに行った。くまはまだピザの話をしていた。でもお弁当屋さんでくま一人だけ、ご飯にもち麦トッピングをしていて笑った。孫たちだけ別室に移されて両親や祖母や叔母たちは葬儀屋さんと話し合いをしていた。2時間近くかかっていて、その間どう過ごせばいいのかわたしたちも分からなくて、だんだん手持ち無沙汰になってきて、コンビニに行くなどした。話し合いが終わり、両親がお昼ご飯を食べると中華料理屋さんに行ったので従姉妹とついて行った。いつも通り食べてる両親を見て、私はこの家の娘だなと確信した。日取りとしては一日家で祖父と過ごしたいと祖母が言っていたのもあるから、明後日お通夜の明々後日お葬式だろうなと思っていたのだけど、明々後日が友引らしく、結局明日お通夜の明後日お葬式に決まった。亡くなってからいろんなことが決まるまでのスピード感半端ないな。ついていけない。しかも決めるのは祖父に近しい人たちが決めていくわけだから、なんかもう、悲しんでもいられないし、厳しいことを求められすぎてるな……………と思った。それが分かってるからエンディングノートや終活が生まれていくんだな…………。だけど、親戚が集まって、棺になにを入れるかとか、服はなにを着せるかとか、お酒好きだったしお供えにビール入ってるやつがいいよねとか、みんなでわいわい言いながら祖父のことを思って準備ができるのはとても幸福なことだと思う。晩ご飯食べていくよね?という祖母に申し訳ないのだけど断りを入れて(明日は学校や仕事に行くし準備もあるので)米10キロをもらい(家にお米ないの見てたの〜?って聞いたらせや、知ってたでと祖母は言った。さすが)帰宅した。めちゃくちゃ疲れたけど全然眠れなかった。情報量が多くて全然処理できなかったし落ち着かなかった。とにかくイヤホン、と思ったけど、言葉のある曲は何も聞けなかったので、エイチゼットリオのdancing in the moodをリピートした。疾走感のあるピアノが心地よかった。それでも3時半に目が覚めてしまったのだけど、真綾ちゃんのラジオならいけると思い、聴きながら朝を迎えた。

 

午前中だけ仕事に行って(心ここに在らずだったわ…………)、ものすごい眠気の中パパとスーパーで合流し、お昼を買って帰って食べた。そのあと時間があったので少し眠り、準備をしてる間にくまが帰ってきた。はしっていそいでかえってきたよ〜!と言っていた。急がせてごめんよ。忘れ物がある気がして不安でしかない中ひとまず出発。往復するのはしんどいのでホテルを取ったのでとりあえずホテルへ。大浴場付きの朝食バイキングありのホテルで〜〜!!!!とか言って探してたけど、結局アクセスの良いところにしたので、大浴場も朝食バイキングもなかった。なんだったらベッドも思いの外狭くてちょっとかなしかった。ホテルで準備を済まして葬儀場へ。会場では祖父がこれから体を綺麗にしたり、服を着るところだった。これもエンバーミングの一種かな、とパパは言っていた。こういう場面に立ち会ったことがなかったのでちょっとびくびくしつつ、タオル越しにお湯をかけさせてもらい、祖父が準備をするのを手伝う両親や親戚をぼんやり見ていた。私はお湯をかけただけだったけど、両親たちは足を洗ってあげたりもしていたので、ひとつひとつ行いながら気持ちの整理をするんだろうかと思った。いや整理なんかつかないよな、送り出す準備で精一杯だよなあ。くまは怖かったようでパパと別室に行ったり戻ってきたりを繰り返した。私は弟とずっと喋っていた。どんどん人が来て、知らない親戚や知らない近所の人もたくさんいて、部屋に椅子が入りきらないほどの人数になった。賑やかでよかったね、おじいちゃん。お通夜が始まったのだけど、始まる前からずっとくまはねむいねむいと小さな声でグズグズ言ってて、おそらくこわいんだろうけど語彙がないというか、いやまあ語彙も失くすわなという感じなんだけど、始まったらぴたっとグズグズが止まって周りを見ながら手を合わせたりしていて1年生めちゃくちゃ空気読むじゃん………と思ったけど、お経が始まった途端お経の抑揚がすごくて(ppからffみたいな)とうとう泣き始めてしまった。怖かったらしい。パパとくまで別室に移動してもらい、お焼香の時にまた戻ってきてもらった。お通夜が終わって食事になって、テーブルにお寿司が置かれていてくまがめちゃくちゃ喜んでいたのだけど私たちだけのテーブルではなかったので、取り分けないといけなくて思ったようには好きなお寿司が食べられず(テーブルにあるまぐろと鯛全部食べて良いと思っていたらしい)、しかもあると思っていたオードブルがテーブルになく(人数が思ってた以上に多くて足りなかった)、周りも知らない人が多いし疲れるしでとうとう「からあげがたべたい…………」と泣き始めてしまった。くまは真剣だけどなんかかわいくて笑ってしまった。見知らぬ親戚のテーブルから唐揚げ食べたいって泣いてるので分けて欲しいと頼み唐揚げを分けてもらった。親戚はオードブルのお皿ごと渡してくれて、全部いただいていいんですかと聞くとこの年齢層見て!?笑 という感じだったのでありがたくいただくことにした。よかったね、くま。この食事会の時も弟とずっと喋っていた。お焼香のとき他の人とふたりで並んで行なっていたので、同じタイミングで終える方がいいのではと考えたらしく、弟はどれくらいの時間合掌したらいいのかとかを木魚の叩く音の数で数えたりして臨んだのに結局途中でわからなくなったりしていたらしい。めちゃくちゃ考えてるじゃん……えらいな…………。おじいちゃんを想う時間は人それぞれだから合わせなくていいんやで。あと母親が好きなタイミングで話をぶった切って喋り始めることについて話し合っていた。我が家みんなそんな感じだししゃあないね。祖父の思い出について話し合おうとしたけれど、初詣に行った時に屋台のものを食べようとしたらそんな汚いもの食べたらあかんと祖父に叱られて結局ふたりでコンビニの肉まんを買って食べた話になった。もっといいエピソードなかったんかい。時間になったら突然ぴたっっっっっと話を終えて呼ばれた方は帰られていって笑ったんだけど、残ってるお寿司と揚げ物を回収してくまに食べてもらった。よかったね。そのあとだらだら喋りながらお菓子を食べたのだけど、ひとまずお開きになったのでホテルへ帰った。夜遅くに電車に乗ることも、都会を歩くことももう滅多になくなってしまったので、新鮮な気持ちだった。

 

狭いベッドで若干身体がばきばきになりつつ起床。ちょっと早めに起きるも特にすることもなかったので読書。平日の朝から読書なんて贅沢………!モーニングを食べに外へ出る。通勤ラッシュの波を逆走してごはんと味噌汁と鮭の定食を食べる。平日だと考えると本当にしあわせでしかない………!ありがたくいただく。葬儀場へ戻り始まるまでエンドレスでお菓子を食べる。うまい〜〜〜〜。父親は昨日祖父の棺のあった会場で椅子を並べてそこで眠ったという。父なりのお別れの仕方なのかなとじんわりしたけど、パパに寝るところなかったからそこで寝ただけ説もあるよと言われ、否めなかった。父はどこでもよく眠れる人なので。ひとつの出来事に対してストーリーを作っていくということはまさにこういうことなんだなと思った。葬式が始まる。またもやお経にビビり倒すくま。でも昨日より長く式に参加していられた。えらい。眠っている祖父の棺にお花をたくさん入れた。足が寒いとかわいそうだからねとか、手のあたりもたくさん入れておこうねとか言いながらお花を入れて、人生で何回経験しても慣れないだろうなとおもった。パパが穏やかな顔だから苦しまなかったんだろうね、の言葉に随分救われたけれど、つらいものはつらい。火葬場で見送るときもだいぶつらかった。食事は普通に食べた。自分の家族と両親と弟で固まって食べていたのに、従姉妹だけあまり知らない親戚と話しながら食べていてちょっと申し訳なかった。戒名に20万円プラスして払えばもうちょっと身分が良くなるらしく(曖昧)、それって焼肉食べ放題で64種類にするか値段足して100種類にするかの違いやろ?という父親にそりゃ100種類にするやろとつっこんだし例えがなぜ焼肉…………。祖母は祖父のために少しでもお金を使いたいけど、父は祖母自身のために使ってほしいというし、うーん、人それぞれだなあ。葬儀場をどうして今日使っているところにしたのかとか、骨はどこに納めるのかとか、そういうことを父親に質問したりした。先のことを次々と聞くのは酷なことかもしれないと思った。戻ってきた祖父は骨がとてもしっかりしていて、綺麗に残っていた。再び初七日法要を行い(くまはもう和尚さんいやだ…………と食事の時からグズグズしていた)、祖父母の自宅に戻った。祖母は帰ってきたよ、と遺影の祖父に話しかけていて、やっぱりじんわりと泣いてしまった。ほんとに、いなくなっちゃったんだなあ。火には気をつけてと祖母に何度も告げて家を出た。

帰りの車の中でめちゃくちゃ泣いた。両親や親戚の前で大泣きするのが恥ずかしくてずっと我慢していた。しあわせに逝ったと思うし、穏やかな顔だったし、とてもいい式だったと思うけど、やっぱり人がいなくなるのはとてもつらい。いなくなったことがはっきりわかってしまうから。お葬式がつらくて、一番いい形で送り出せたことをどうにか肯定したくて、昔はこんな風にできなかったかもしれないけどさあとか全く良くわかっていない過去のお葬式のやり方などの話をしながらわんわん泣いた。くまは泣いてる間ずっとわたしの頭を撫でてくれていた。とにかく何か食べなければとあたたかいドリアを食べて帰った。あたたかいものは正義なんだと身をもって知った。明日は仕事を休むことにした。