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4/21 くまと○○ちゃんと私の4日間

4/18 火曜日
くまが新しく来たおともだち、○○ちゃんのことを「きびしい」とコメントしていたので、理由を聞いてみると「みどりのかべ(トイレの)触ってたら『ぬかすで』っていわれたから」とのことだった。私はいやそれくまがトイレ並んでるときに他のことしてたから早くしてやってことちゃうのん…………と思いつつ、「そのこトイレいそいでたんちゃう?くまもはやくトイレ行きたいときあるやろ~」とだけ言った。
その時はくまはなんか言い返したの、と聞いたら、他の子が「あかんで!」と言ってくれたから自分はなにも言わなかったと言っていた。
この○○ちゃんはお兄ちゃんかお姉ちゃんが居て、ぬかしたりぬかされたりの喧嘩を割りとよくするのかなあ、と思った。くまは近い年代の子との喧嘩の経験が乏しい。

 

4/19 水曜日
くまと保育園から帰るときや、ご飯を食べ終わったあと、この○○ちゃんから言われた些細な報告が増えまくっていた。

「スプーンで(ごはん粒や残ってるおかずを)あつめるのはあかちゃんやねんで!」
「(くまの着てる妖怪ウォッチのピンクの服)かわいくない!」

などなど、些細なことをちまちま言われてるらしい。くまは泣くでもなく怒るでもなく割りと普段通りだった。
「あかちゃんやねんでっていわれたときは、ほかのこがあかちゃんっていうほうがあかちゃんやねんで!っていってくれた」
「○○ちゃんはぷりんせすがすきやねんて~」

こういうとき私もなにか試されてる……!と思う。○○ちゃんのことを否定するんじゃなくて、たぶんくまの行動を肯定する方がいいと咄嗟に思った。くまはくまの気持ちがあるし、○○ちゃんは○○ちゃんの気持ちがある。
「くまはスプーン使ってご飯きれいに食べようとしたんやろ?スプーンなしで汚くなるより、スプーン使ってきれいにする方がいいとおもう~」
「○○ちゃんはプリンセスが好きなんやったら、妖怪ウォッチとはちょっと違うもんな~他の子がかわいいって言ってるのかわいくないって言うのはちょっとよくないと思うけど、くまの服かわいいと思うし、くまもいろんなかわいい服持ってるもんな~」と言った。
なんか言い返した?と聞いても、スプーンのことのときは、「あかちゃんっていうほうがあかちゃんやねんで!って他の子が言ってくれた」と言っていて、くまは、なんて言ったらいいかわからへん、とのことだった。自分の気持ちを表現するのはいつになってもむずかしいよね。でも言い返してないのもちょっと心配だった。しね!とか言ってても困るけど、もしなにか言ってて言い方がよくなかったらそれは考えていけばいいけど、なにも言えないからのスタートはちょっと不安だなあ。子どもの報告はその状況を目の前で見てない限り、話し半分で聞くべきだとは思うけど、やっぱり心がざわざわする。

 

4/20 木曜日
朝の支度をしながら、くまが「くまが持ってるジジのタオルなんでそんなおっきいん?って言われた」と再び報告がある。そのあと「○○ちゃんが持ってたラプンツェルのタオルもおっきかったのにな…………」。細かすぎて大笑いしてしまって、○○ちゃんおもしろいね、と言ってしまったのだけど、この○○ちゃんになにか言われた報告がくまにとって「ママが笑う話題」として認識されたらどうしよう…………と仕事中にずっと悩む。悶々としながら過ごし、お昼休みに先輩に話してちょっとすっきりして、家に帰る。

お迎えに行ったとき、教室にくまたちが描いた新しい絵が張られていて、くまの絵を見たあとに「○○ちゃんのかいたえかたむいてる!」と言った。よくみると横向きの紙に縦向きで顔を描いていたのだけど、「いや、もしかしたら空飛んでる絵かもしれへんで、いいやんたのしい絵やん」と答えたけど、くまもなんだかんだで親には黙ってるけど、いろいろ誰かに言ってるのかもしれないなーと思った。
帰り道、「○○ちゃん、きょうビーフシチューおはしでたべるんやで!っておはしでたべてた」と言っていて、なんか言い返したのって聞いたら「スプーンでたべるんやで!」と言い返したらしい。なんや言い返せるやん!と安心したし、昨日のスプーンのくだりは、もしかして○○ちゃんはスプーンを持ってきてなくて、くまは持ってたから羨ましかったのかなって。○○ちゃんちょっと不器用だけどかわいいやつなのかもしれない。

家で、くまは○○ちゃんはおともだちじゃない、と言っていた。そりゃこれくらいの子でも友達とそうじゃない子がいるだろうから、それは否定しなかった。
ふと気づいたことがある。

前に、別の男の子に「うわぐつおなじえがかいてないのへん!」と言われて、寝る前に思い出してしくしく泣いていたことがあった。(くまは上靴の左と右に好きな絵をサインペンで描いてた)
その子のことはおともだちとして名前が挙がる子だった。もしかして、おともだちって思ってる子に言われるのはめちゃくちゃ落ち込むけど、そうじゃない子に言われるのはまだどっちでもいいのかな、と思った。逆に線引きというか住み分けができてるのならめちゃくちゃかっこいいし、見習いたい。

 

4/21  金曜日
「○○ちゃん、だれかのことおっぱいっていってたー!!」
もう心配しなくていいと思った。○○ちゃんにそのうち会えるのが楽しみになった。

 

4/16

先輩と3月半ばごろにちょっと喧嘩した。ここでいう先輩は職場の先輩だ。3月半ばの繁忙期だというのに私は暇だった。毎日毎日なんのために出勤してるかわからなくなった。出勤するだけでも疲れるので、家のことまで手が回らず、部屋は汚くなる一方だった。それが嫌だった。仕事がないなら家に帰りたかった。

先輩とお昼ごはんを食べながら、することがなくて困ってて、「わたしいらないんじゃないかと思います」と言った。そしたら先輩が「そういうのキライ」と言い放った。私は先輩からのキライにびっくりしすぎて返事ができなかった。キライって直接言われたらこんなに心に刺さるものなんだなと思った。

その話をなんとかやり過ごしながら考えた。確かに先輩はめちゃくちゃ忙しいのに、こんなときに後輩から暇すぎるわたしいらないんじゃないか、みたいな弱い言葉を投げられたらいらいらするかもしれない。けど、先輩はわたしの気持ちや立場がわからないし、わたしにも先輩の気持ちや立場はわからないから、分かり合うのはむずかしいかもしれない。だけど、それを埋めるために言葉があるはずであって、ていうか先輩は自分はいなくていいとか、そういう気持ち持ったことないんでしょ、自己肯定感半端ねえなキラキラ女子め!くっそー!!!!と思うと泣くしかなかった。先輩はもうインスタグラムの話をしていたので、びっくりしていた。そのとき考えていたことは言えなかった。暇だと他の人の嫌なところばかり目について辛いですとか、重要だけどいまこの時点では重要じゃないことを言った。

そのときのことを今思うと、ただ甘えてただけだった。ひとつひとつをできるだけ完璧に仕上げるようにするとか、もっとやれることはたくさんあった。仕事したくないからって言い訳だけを並べ続けてたなと思う。反省した。

4月の頭、先輩が酷い体調不良で4~5日休んだ。先輩がいないことなんて今までなかったから、変な感じだった。小さな部署で働いていて、身近な先輩はこの人だけだったから、細々した困ったことはぜんぶこの先輩に聞いてもらっていた。でも先輩はいない。変な感じだった。わたしは、先輩がいなくても、ひとりでできることをしなくっちゃと思った。前みたいに、甘えてる場合ではなかった。

久しぶりに先輩が来た。私はおかえり~!と迎えた。ほっとした。お昼ごはんの時、先輩は「わたしがいなくても仕事はまわるもんなんだね」とぽつりと言ったので、咄嗟に「わたしの気持ちがわかりましたか~!」と言ってしまった。そしたら「うん」と先輩は笑った。

わたしも先輩のあのときの気持ちがわかった。仕事があろうとなかろうと、そこに座ってくれてるだけでもとってもありがたいもので、安心できるってこと。いなくてもいいなんて言われると結構淋しいこと。あのとき喧嘩と言えるほどでもないけど、喧嘩してよかったな、と思った。いなくてもいいなんて、言うのはもうやめようと思った。事務補助の補助だから、コピーとかファイルの整理とか、小さな仕事がメインだけど、派手な仕事なんてひとつもないけど、自分の仕事はひとつひとつ肯定してあげたい。誰でも出来ることであったとしても。

4/10

最近、「あっわたし存在感もなくて幽霊みたいだから………」と自分を紹介するときにそう言ってるのを聞いた。「幽霊」「存在感がない」というワードを印象づけるために使ったのかな、と想像した。個人的な感覚だけど、そういう使い方をした場合だいたい悪い方に働く気がする。私は幽霊だなんて思ったことなかったけど、この人は幽霊なのか………と失礼ながら、すこし思った。自分で自分に「わたしは幽霊、存在感がない」という呪いをかけているような気がしてしまった。

そのとき、言霊ってほんとにあるんだな、とひしひしと感じた。それから、言葉が話せるということは、私は自分に呪いでも魔法でもかけることができるんだな。雑にまとめすぎだけれど、自分に言葉をかけられる人間全員魔法使い…………!と思った。

じゃあ自分になんて言葉をかけるといいんだろう。できるだけ新たな呪いはかけたくない。できたら魔法の言葉がいい。

「わたしはすごい!」うーん、使い方を間違えると周りの意見を聞かなくなったり、他人の努力を見過ごしたり、なんだか周りのひとを邪険にしてしまいそうだなあ。そういうのはよくない。なんか、無敵のやつがいいな。

2年くらい前だけど一緒に働いてたひとが、この人ここやめたらどこで働けるんだろうというくらい困ったひとで、いまはもう近くにいないのだけど、「私は新しい職場で活躍しています」と連絡してきたことを聞いた。
活躍しています、だなんて、私は使ったこともない言葉だった。一度でいいからなんの曇りも嘘もなく、言ってみたいと思うけれど、なかなか難しそうな言葉だ。これもある意味この人は自分にわたしは活躍してる、という魔法をかけてるわけなんだけど、私が自分になにか言葉をかけるならできるだけ、現実から離れてないものがいいな。自分で自分のことを活躍していますとはちょっと言いづらいし、だいたい活躍してるしてないは他人からの評価であって、自分で使う時点で使い方を間違えているような気がする、ので私は使えない。

いつどのタイミングで言葉を使うかにもよるので、一概に絶対これ!とも決められない。けど、もう少し言葉を大切にしようと思った。できるだけ誠実でいたい。

4/8 きりん組のせんせい

新年度になったので、くまの保育園の担任の先生が変わった。担任の先生がふたり居て(子どもの年齢によって先生の数が変わる)、毎年ひとりは持ち上がりで、2年は同じ先生という流れで今まで来ていたので、S先生が担任かな~安心だぞ~!!と思っていたら、持ち上がりになってたのはもうひとりのM先生だった。M先生は今年でくまたちのクラスを受け持つのは3年目になる。(M先生はいっそ来年年長さんになるし最後まで担任でお願いしたい)M先生も良い先生なので問題ないのだけど、3年連続なんてあるんだなと思いながらも、S先生が居ないことがショックだった。私はS先生のことがめちゃくちゃ好きだった。

 

S先生はたぶん30代で、ショートカットで、ちょっと声が大きくて、いつも元気で、かわいいピンクのマウンテンバイクに乗っている。S先生のことをやばいやり手のすげー先生が来た……………!と思ったのは5月の保護者懇談会のときだった。

 

S先生はこの一年のクラスの目標として「きれいに食べることや、服を着替えられるようになることなど、自分の身の回りのことが自分でできるようにしていきたいと思います。だんだん大きくなると、友達同士で『○○ができてない』とか、言い合うようになっていきます。そうすると、言われた子は自信をなくしてしまうこともあります。今は先生たちやお父さんお母さんの大人の目が届きますが、いつか届かなくなる日が来ます。だから、自分の身の回りのことをきちんとできるようになって、自信をつけてほしいです」みたいなことを話していた。
身の回りのことで友達に言われて自信をなくす………!!というのがまず目から鱗で(少しずつできるようになれば大丈夫、くらいの緩い気持ちだった)、しかもそう遠くない未来で助けられなくなる日のことにも触れていて、順序よく組み立てて話をしているところがとても印象的だった。感情で話すタイプじゃない……論理的だし確実に気持ちの伝え方の近道を知っている話し方だ…………やり手だ………と思った。

 

それから、一年を過ごした。思い返すと、先生は子どもへの接し方がとても上手だった。否定なんて絶対しなかった。いつも子どもの気持ちをできるだけ汲み取った話し方をしていた。先生が感情的になってしまうところも想像できなかった。使う言葉がいつも前向きだった。他のお父さんお母さんにもそうだったと思うけど、私がくまの家での面白いエピソードや悩みごとを話すと、とっても丁寧に話を聞いてくれた。いろんなものを肯定しているように見えた。話をしていると、ぐちゃぐちゃに混ざった言葉と気持ちをひとつひとつばらばらにして、シンプルな形にしてもらえる感覚があった。

 

生活をしていれば、きっと先生の丁寧さや肯定の気持ちが踏みにじられることだってあるかもしれない。ぐちゃぐちゃにされたとき、どうやって立ち直ってるのかがずっと知りたいと思っている。

 

他にも印象的だったのは、S先生とM先生は運動会や遠足のときはお揃いのきりんのTシャツを着ていたことだ。運動会のとき、他のクラスの先生たちはお揃いのTシャツは着ていたけれど、クラスの名前になってる動物のシャツを着ていたのはうちのクラスだけだった。(きりんのTシャツ、先生たちわざわざ探したのかなあ、かわいいなあ、とネットで探しまくったけど同じやつは見つからなかった。きりんのTシャツはめちゃくちゃ種類があってびびった)

ときどき保育園に貼り出される集合写真、S先生はいつも子どもたちより楽しそうに笑っていた。先生も楽しい方が子どもたちもうれしいよね、とほっこりした気持ちになったし、子供たちとのいまを全力で楽しんでくれている気がした。

 

他にもいろんなエピソードがあるけれど、思い出すことひとつひとつが、いつも子どもたちへの愛でいっぱいだった。とっても素敵な先生だった。辛いことがあったとき、ときどき先生だったらどう考えてどう向き合うだろうって思うくらい。先生、ありがとうございました。もっと先生がくまとどんな風に接していくのか、先生が見たくまのことを私に教えてほしかったです。
色んなことが乱雑になってきたときは、先生のことを思い出して、ひとつひとつ丁寧にやっていこう。

 

そんなことを思いながら、私は新しい先生が連絡帳に書いてくれた「くまちゃん、お誕生日おめでとうございます!フルーツケーキとショートケーキを食べたと話してくれました」の返事を忘れずに書いた。

 

「くまはフルーツケーキは食べていません!(笑)ショートケーキは苺だけ食べてスポンジは冷蔵庫で眠っています!どこで食べてきたのか聞いたらひみつらしいので、追求はしませんでした…………!笑」

 

4/7

決算、お金のことだからとても大切だけど、システムまで疑い始めたらもうキリがないんじゃないかなあ…………。元データとその抽出したデータが合ってるか確認する作業、要るかなあ……………。全部いちばん上の人が確認しなくても、最終的なところだけ見てもらえるようになったらいいのになあ…………。去年と今年の決算で同じ作業なのに、ひとつひとつ仕事が増えて簡略化されることもなく…………。会計の仕事だけは自分の割り当てられたことだから、せめて、自分でできたらなって、気持ちで残業しますとは言ったけれど、うーーーーーん。でも、私もミスがないわけではないから、言えないよなあなんて。

仕事だから、私の役割上いちばん上のひとのしたいように動きますってことだから、条件飲めないならやめるしか選択肢ないんだけど、いつかすぱっと割りきれるようになったらいいな。ぐちゃぐちゃ言葉が出なくなるといいな。

だけど、簡略化できるんじゃないかとか、こうしたらいいんじゃないかなとか、なんで、とか、そういう気持ちが死んだら、わたしはいなくなるから、そういう気持ちは持っていたい。伝わらなくても、持ってるだけでいいとおもう。仕事はなるべく要領よくやりたいよね。

 

まあがんばらなきゃいけないときもあるよね。いつか実を結びますように

4/4 なかったことにされちゃうよ

なかったことにしたくなかったので、産んだ。昨日でくまは5歳になった。

 

5年前、正確にはもう少し前だけど、あの夏、くまが私たちのところにやってきたのは、本当に突然のことだった。生理が来なくなって、こっそり妊娠検査薬を買って、都会のショッピングモールで試した。赤い線が出てきて怖くなって、すぐにダストボックスに捨てて個室を出たけど、やっぱり信じられなくてもう一度ダストボックスを漁って確認した。けど、本当だった。駅のホームでパパと友人ひとりにこのことをメールした。

 

親に告げるのは一週間後にしようと決めた。母がとても楽しみにしてるライブがあるから、それが終わってからにしよう。ライブは心置きなく楽しんできてほしかった。
一週間の間に作戦を練った。どのタイミングで告げて、親に病院に付き合ってもらって、いつパパが我が家に来て、親に説明するのか。
パパは何も言わずに私の作戦を聞いてくれた。そもそもパパが私にこうしてほしい、ああしてほしいという要望はなにも伝えられなかった。産むにしろ産まないにしろ結婚するにしろ結婚しないにしろ、全部わたしがこうすると決めたことにパパは沿うだけだった。それがパパなりの責任の取り方だったのかな、といまは思う。

 

親への説明はパパも両親も仕事が終わってからということになったので、23時頃に行われた。私はバイト帰りでお腹が空いていたのでマクドナルドのダブルチーズバーガーセットを食べながら聞いていた。両親やパパが産むだの産まないだの話をしているところで、一人むしゃむしゃとポテトを貪り続けた。いろんなことが大きく変わろうとしていくのが怖かったんだと思う。いつも食べてる大好きなマクドナルドで誤魔化したかったのかもしれない。

 

そんなこんなで結婚し、くまが生まれ、5年が経った。あの頃私はまだ20歳の誕生日も来てなくて、結婚生活や家族を作ることに希望もなければ絶望もなく、寧ろ全く想像したことのないまま、始まってしまった。

どうして産むことにしたかって、なかったことにしたくなかったからだ。自分のお腹に命があったことをなかったことにして、生きていくことを想像したら怖かった。もし本当に子どもがほしくなったとき、「なかったことにした」ことに耐えられるか分からなかった。忘れてのうのうと生きていくことが怖かった。他には、インターネットで天国へ行った赤ちゃんへのメッセージが綴られている掲示板を見た。ごめんね、という言葉がたくさん並んでいて、閲覧したときもリアルタイムで言葉が更新されていっているのがリアルでとても怖かった。

あの頃のわたしは産むのも怖かったし母親になるのもめちゃくちゃ怖かったけど、誰にも言えなかったけど、10年後にはしあわせだったね、って思ってやる、いまは大変かもしれないけど、絶対間違ってなかったって言ってやる、と思っていた。10年もかからないよ、割りとすぐ幸せだって思うよ、ってあの頃の私に教えてあげたい。

 

くまを生んで2年後くらいに知った、大森靖子さんは「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲で「面白いこと 本当のこと 愛してるひと 普通のこと なかったことにされちゃうよ なかったことにされちゃうよ」と歌っている。くまを迎えようと決めたあの頃よりきっとずっと前から、なかったことにする/しないことは、私にとって大事なことだったのかな、とこの曲を聴くと思う。そしてなかったことにしなくて本当によかった。

 

お誕生日おめでとう。お誕生日パーティー、まだできてないから今週末にでもしようね。