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個人的な感覚の話なのだけど、何かが終わっていく節目のときに、生きていく中で長くお付き合いのありそうな人たちに出会う気がしている。

 

大森靖子ちゃんに出会ったのは、私が卒論を書き終える2週間くらい前のことだった。この頃の私は行き詰まったらとかなんとか理由をつけてグラコロばかりを食べていて、この日もグラコロを食べていた。持ち帰りにして、家に帰った。ほとんどテレビをつけない私が、たまたまテレビをつけた。朝、くまがEテレを見ていて電源を切ったからか、そのままEテレが流れていて。ハートネットTVの再放送が始まった。そこに大森靖子ちゃんはいた。あっという間に終わってしまって、MVを見てどんどん好きになって今に至る。2014年の12月のことだった。せいこちゃんに出会って、もうすぐ3年になる。せいこちゃんはものすごいスピードで曲を書き続け歌い続けライブをし続けているので、まだ3年かあという気持ちだ。

 

横山だいすけさんにしても、今年の7月、仕事をやめようと決めて、10日後くらいに見たコンサートでとても好きになった。チケットが舞鶴公演しかとれなかったので、舞鶴まで行った。車で2時間ほどかかった。今ほどの好き!!!みたいな勢いはなかったのに、よく舞鶴まで行ったな、と思う。(GJじぶん!)転機になったのは、アンコールで披露された「さよならだよ、ミスター」だった。8月にリリースされたシングルなのだけど、親から子供へ送るメッセージとして紹介された後に歌われた。聴きながら、私は仕事のことを考えていた。やっぱり辞めていいな、と思った。「きみはしあわせになるために生まれてきたんだから」というフレーズがとても心に残った。全然しあわせじゃない。はいしか言えなくて、自分の言葉を使えない毎日なんてしあわせじゃないよ。辞めよう、気持ちがもっと固まった。もう迷わないぞ。

 

そんなことを思い出して、次の大きなスタートラインに立つんだなとか、何かを終えることを決めたとき、そういうときに好きな人に出会うのかもしれないし、出会った人を好きになるのかもしれないなんて考えた。順番とか因果関係は分からないけれど、とにかく、いまは新しいことが近づいているんだなあと思う。(そういえばパパとお付き合いが始まったのも、大好きで大好きで別れ難くて卒業なんてしたくなかった高校を卒業して、受験が終わって、大学生になる間の1週間くらいの間だった。)

私は色んなことが全部繋がっていると思っていたくて、小さなことも伏線だと思いたいから、こんな風に考えるのかもしれない。例えばせいこちゃんのファンが書いた、歌詞の考察を読むとき。上手に文章を書く人がたくさんいて、論文みたいだなって。そしたらひたすら論文を読み漁っていた1年間のことを思い出した。全然見当はずれの論文もたくさん読んでた。読まなくてもよかったなあ、なんてあの頃は思ってたけど、こんな風にせいこちゃんの考察を楽しく、それからちょっと懐かしい気持ちで読めるのはあの頃のことが生きてきてるからかもな、なんて思ったりとか。思ってもないところで、今までのことが生きてくる瞬間がとても好きで、ついつい繋げてしまいがちだ。