4/30 保育園の「動きやすい服装」

クラス役員のくじ引きがあった。今年当たらなければ来年卒業に関するなんちゃらかんちゃらをやらないといけないらしく、もう当たったらそのときはそのときなんだけど、そろそろクラス役員当たっときたいなーと思って、立候補した。

立候補者は3人で、役員は2名なので、2/3で当たるし、当たるだろうと思っていたのに、外れた。まじかよ1/3のほうを引いたのかよ……くじ運がいいのか悪いのか……と思い、くじ引き会場を1分足らずで去る。(ちなみに去年も外れた)

 

ところが、廊下でくまの担任の先生に呼び止められた。お話があって、という先生に私はびびりまくった。なぜなら昨年度1月から3月にかけてこんな風に先生と話すことが多くて、なんかあるときに呼ばれるやつで、とにかく怖かった。でもそんなことも言ってられないので、話を聞いてみた。

「今日くまちゃん、トイレのときにキュロットを下ろしそこねたのか、ちょっと便器の中に入ったか入ってないか、みたいな感じになって、結果的には濡れてなかったし大丈夫だったんですけど、それをすごく気にしてて……。それで、汚れたりそんな風に気になったりするんだったら、それはおうちで来て、保育園では汚れてもいい服にしたらどうかな」という話をしたとのこと。(汚しちゃいけない服は着てこないでくださいというルールがある)

なので私は「えっそれは汚れてもいいようにしてる分なのでそれは大丈夫ですー」と答えた。というか今思えば汚れてもよくても大丈夫でも便器に衣類が入りかけたらだいたいの子は気にするのでは……そうでもないのかな………。

 

でも先生の言葉が続いたのでどうやら先生の伝えたいことはこういうことではないらしい、となんとなく察した。

簡単にまとめると「保育園には動きやすい服で来てほしい」ということだった。鉄棒で前回りしたり、跳び箱をしたりすることもあって、これからどんどん活発な動きが増えてくるから、ひらひらしたものだと引っかかったりしてしまうこともある、とのこと。

分かりました、と話を終えて、もう一つ別の話が始まったのだけど、その話が終わったあとに、この話にもう一度戻した。もやもやしたからだ。くまになんと説明をすればいいのかが分からなかった。

 

保育園の「動きやすい服装」問題は、去年度のクラスの時に先生と話をしたことがあった。くまが「スカートを履いていきたい」と言ったときに、「スカートやったら動きにくいかもしれんし、キュロットやったらどうかな?」と提案したうえで、担任の先生に確認をとったら、「くまちゃんと話をして、決めたことならそれで大丈夫です」みたいな回答をもらったので、キュロットで通っていた。

けど、今回「できたらズボンで来てほしいけど、キュロットはだめとは先生の口からは言えなくて「動きやすい服装」という言葉を使って伝えられている」ということが起きている。

仮に私がここで「先生がズボンで来てほしいって言ってたから、これからズボンでいこっかー」と言って、ズボンで通うようになっても、私とくまで話をして先生に確認をしてキュロットにしてたのに、「なんで今日からだめになったん?」になってしまう。ズボンでもいいよって、納得してもらったとしても、他の子がキュロットを履いてた場合「なんでくまだけだめなん?」と聞かれたら、私も説明ができないし困る。

だから何を言えばいいかわからなかった。いっそ「ズボンで来てください」っていう規定を作ってもらったほうが、私はくまに説明がしやすい。担

 

「キュロットはだめってことですか?」

「だめ、とはっきりとは言えないんですけど……どうしてもキュロットがいい!っていう子供の気持ちもあるし、服装にこだわる子どももいるから……」

 

えっもうもどかしい!!!ちゃんというてや!!!!!!という気持ちになった。ホントはズボンがいいけどキュロットでも目を瞑ってる問題、結構どこのクラスでも起きてるんじゃないかなあ。保育園側でちゃんとズボンにしてくださいって言ってくれたらいいのになあ、と思った。でも、くまもそうだけど、かわいい服に拘ってる子もいるから、そういう気持ちを捻じ曲げるわけにもいかないのかなあ。でもそんなに遠回しに言うくらいならズボンにしてくださいって言ったほうが誰も悩まないし困らないんじゃないかな……とは思った。

 

「私がここで、くまにズボンにしようねーってズボンを履かせて、でもほかの子がキュロット履いてたらなんで自分だけだめなん?って聞かれても、私も説明がむずかしくなるし、正直ズボンいや!って言われたときに、くまになんて言ったらいいんかわからないです」

「クラスのみんなで動きやすい服装ってどんな服かなとか、保護者会のときにまたお話しもしようとは思っています」

 

(文章から伝わるかはわからないけれど)先生は子どもにも親にも保育園のルールにも気を遣いながら話していて、なんだかがんじがらめだし、ほんとに神経を使うお仕事だなあ……お疲れ様だなあ……と思った。はっきり先生も言えないのつらいよね……たぶんね……。とにかく帰ってくまに話してみるか、と思いながら帰宅した。これはくじ引き会場を出たすぐ外の廊下でやりとりをしていたので、話が全部会場にいた同じクラスの他のお母さんに聞こえていたかもしれない。結構いろんなことを言ったので、はっきり言うなーとかいろいろ言われてたらちょっと恥ずかしい。

 

パパに話をしたら「逆に曖昧な言葉しか使ってないんだったらひらひらしてないキュロットでくぐりぬけるとかもありやと思うで。だってはっきりしたこと向こうが言ってないから、こっちの解釈で好きに捻じ曲げられるで」と言われた。けど、保育園の先生だし、一旦距離ができるとずっと開いてしまうし、丁寧な言葉でやり取りできる間はそうしていたかったので、この案は却下した。

インターネットで「保育園 キュロット」で調べると、だめです、とはっきりルールに書いている保育園のほうが多い印象だった。だめならだめってはっきり言ってくれたほうがいいよねえ。公立だしそんなこと言えないのかなあ。でも曖昧なほうが親も子供も混乱するしどうかと思うよ。

 

どうしたもんかなあ、先生のズボンにしてほしいという気持ちも、くまのキュロットを履きたいの気持ちもどっちもわかるけど、どうやって伝えたらいいんだろう、ていうか人としてのなにかを試されている気がする……。

 

けど、回答は割とあっさりとやってきた。

その日の夜、くまが外で転んだ。キュロットを履いていて、膝をすりむいてしまった。痛いからお風呂には片足しか入れずに入っていた。もしズボンを履いていたら膝が守られてるわけだから、痛いのは少なかったかもしれない。

次の日、パパが公園に連れていくときに「お外で遊ぶしスカートじゃなくてズボンにしとこっかー」とさらっと着替えさせていた。そっか、外で遊ぶときはズボンに履き替える流れを家で作ればいいのか、となんとなく思った。(もともと公園に行くときはスカートは履かないようにしてたけど)私がひとりで考えて伝えるよりも、私が見てるくまの生活からくまに伝えていけばいいのか、と思った。

 

だから月曜日、もしキュロットを履きたいといわれたら「ズボンだったらこけたときに膝を守ってくれるし、お外で遊ぶときはできるだけズボン履いてるから、ズボン履いていこう」と言ってみようと思う。それから、丁寧に話をしてくれた先生に、私も考えたことをちゃんと連絡帳に書こうと思う。そのあとは、先生がクラスのみんなに話をしてくれるはずだから、先生とおともだちとみんなで、くまが考えてくれればいいと思う。

4/27

去年度で退職した会社のひとに会ってきた。彼女はちゃんと辞めることを決めて、新しい仕事に就いてて、すごいなと思った。文句ばかり言ってるわたしとは違う。一歩踏み出せる強さがあるのがすてきだった。この一年で何か見つけて、飛び出す準備をしてみてもいいかもしれない。

 

出口のない迷路の気分だ、だったらトランポリンで飛ぶしかない、と呟いたんだけど、ほんとにそうで、トランポリンで飛んでって、新しいところに飛び込んでもいいのかもしれない。契約満了まで続けてきれいに辞めるのも憧れだけど、なんとかやってこれたって証明になるかなとも思うけど、悩むなあ。

 

いいところはたくさん吸収して(丁寧に書類をチェックをする、とか)、悪いところは人の振り見て我が振り直せ、で直して、一年の間で考えよう。やっぱり、時間にルーズなところで働くのはつらい。自分の常識と会社の常識がズレすぎててしんどい。だけど、他部署に比べたらまだ、まだうちはマシなんだなあと思うと……………………。とにかく、一年で考えよう。いろんな人の仕事の話が聞きたい。

 

4/26 くまと○○ちゃんとせんせい

昨日、保育園にお迎えに行って、教室の扉を開けたらあんまり見覚えのない子どもたちと珍しい先生たちがいた。
「お母さんくまちゃん隣やで!アハハハハ」「しまった去年からの癖でこっちきてしもた!!!!!」「アハハハハ!!!!」ちょっと間違ってもわかるわかる~わたしもわからんくなるもん~~!!!とあたたかく接してくれるここの先生たちがとっても好きだな、と思う。

私はきりん組さんの教室のドアを開けてしまったらしく、隣のぞう組さんへ行くとくまと担任の先生と去年の担任のS先生がいた。(年長さんと合同で同じ部屋にいたらしい)S先生だ!!!と思いつつ挨拶はしたけど、やっぱりなんだか上手く話せずになんかそっけなかったかも………と後から反省しつつ滅多に会わない今年の担任の先生と話す。

「くまちゃんね、今日おともだちの頭をコップで軽くとんとんとんってしてたら、他のおともだちにそんなことしたらあかんで!!!って言われちゃってね、」
「それ○○ちゃんちゃいます??」
「!?!?なんで知ってるんですか!!??」
「いやもうその子の話めっちゃ聞くからですよ!!!」

思いがけず先生に○○ちゃんの話をすることになった。先週金曜日には「○○ちゃん誰かのことおっぱいっていうー!」とくまが教えてくれて、言いがかりやなと思ってたのでもう心配はしてなかったし、話す予定はなかったのでちょっとびっくりした。

今日のくまの出来事の続きを先生に聞くと、あかんで、と言われて「そんなきびしいこといわんとって!!!」とくまは泣いてしまったらしい。おっいいやんちゃんと自分の気持ち言えてるやん、と思いつつ、先生は「たぶんくまちゃんも、やったらあかんかったかな、みたいな気持ちがちょっとあったから、言われて泣いてしまったんだと思います」と続けた。くまの側の気持ちもちゃんと汲み取ってくれることがとってもありがたいと思った。

それから、家で聞いた○○ちゃんから言われたことを、私の感想と共に話したら先生は何度も爆笑してくれてわたしはちょっと調子に乗ってしまった。ここの先生たちはすぐ笑ってくれるのでやっぱりあったかい。
先生は「くまちゃんがお話ししてることは全部合ってます」と教えてくれて「あっ捏造じゃないんですね!ちゃんと保育園であった事実伝えられてるんやー!」と言った。

ちょっと気になってたのが、言われたときにちゃんと言い返せる(自分の気持ちが言えるかどうか)ということだったんだけど、ちゃんと言えてるとのことだったのでほっとした。

先生は「○○ちゃんもくまちゃんも、ちょっとお互いが気になる存在っていう感じなんです~」と言っていて、そんな感じなのかあ、子ども世界もいろいろあるよね、と思った。○○ちゃんもくまもお互い少しずつ大きくなって、楽しく保育園で生活できたらいいね。

くま、ちゃんと家族に保育園であった事実を言えてるのめっちゃ賢くなったなあと、ママは思ったよ。

4/24 ときどき映画館に行きたい

昨日はコナンの今年の映画、「から紅の恋歌」を、くまと見に行った。京都が舞台だったので、ちょっと気になってたんだけど、TwitterのTLで服部平次のオンナどころか遠山和葉になれる、というツイートが拡散されていて平次×和葉がすきだった頃を思い出し(一時期小説漁りまくってた)、完全に心が傾いたので見に行くことに。公式ありがとう!!!!!!

ただ、気がかりなのはくまのことだった。コナン見に行きたいねん、と話すとくまいっしょにいったろか~!!??と何回も言ってくれていた。けど、爆発シーンも必ずあるだろうしびっくりしないかなとか、そもそも殺人のシーンとかも大丈夫かなとか、ていうかコナン一回しかくま見たことないよね………???とか。2時間静かに座ってられるかな、自分の好きな妖怪ウォッチとかプリキュアとかドラえもんじゃないしな…………一番いいシーンでママトイレ行こうとか言われたらめっちゃ嫌だ………………とか、いろいろ悩みは尽きないけど、とりあえず映画館へ。

結果的には、最後までちゃんと座ってられました。冒頭から血が結構飛んでてエッ大丈夫……!!??って慌てたけどくまは普通に座ってたし、始まって30分くらいで映画館入る前に寄ったお手洗いでジュース忘れてきたことに気づいて慌てたりしたけど、ちゃんと見られました。よかった。EDの歌のあともちゃんと続きがあることを覚えたみたいで、エンドロールが流れても立つことなく見てられました。ちゃんと世界観壊さず最後まで浸らせてくれてありがとうねくま。

本編はちょっと切なかったけど、平次と和葉のショットめちゃくちゃ多くてよかった!!一番よかったなと思うのが、和葉と紅葉が皐月堂で戦ってるときの、和葉が「いろんな音と仲良くせなあかん」って、知りたい音以外をぜんぶ無くすのではなくて、全部受け入れてそこから自分の欲しい音を選ぼうとしてたところが、とっても好きだった。こういうのってとても大事なことだけど、忘れちゃいがちなことだから、覚えておきたいなあと思った。
あと結果的に紅葉には負けてしまうけど、絶対に取りたかった歌は取れたからよかったってさっぱりしてるところとか………!(紅葉の目の前に札があって、和葉からはめちゃくちゃ遠くて取るのがどう考えても難しかったんだけど取れたの!!!オオオオ)
それからカルタの特訓してるって聞いて和葉のところに行くけど紅葉のボディーガードやってるんやろはよかえって!!って追い返されたときの平次の顔!!!和葉のこと気になるんやんなわかる!わかるでーーー!!!!!!

あとは、コナンと平次の信頼関係も強すぎるところとか、カルタめっちゃ強い和葉とか、平次ママが紅葉にはっきり言うところとか、ずっとはっぱちゃんって呼んでた紅葉が最後は和葉ちゃんって呼んだところとか、紅葉もただの嫌な女じゃなくて芯の強い凛々しい女なんだなってストーリーが進んでいくうちに分かるところとか、なんかもういいところがたくさんあって、よかった。
平次の気持ちより和葉の気持ちに添って観客はストーリーを追うことになるから、和葉になれる、という私が見たツイートは確かだったなと思いました。何回でも見たい。

私の中で、家事と仕事と子育ては全部地続きになってて(せめて仕事と家事・子育ては切り離せたらな、とは思う)、切り替えが難しい。でもたった二時間、映画館で映画を観るだけで、気持ちがすぐに切り替わって、「こういう面白いものときめくものにお金を払うために働いてるなあ」とか、「ふたりがしあわせなら!!細かいことは!!!!もう!!!どうでもいい!!!!」とか、普段の生活で忘れがちな気持ちになれるので、映画っていいなあと思った。映画館、この日に行くのも実は迷ってたのだけど(引っ越しの荷ほどきもまだ残ってたから)、でもパパに行っといでーと背中を押してもらった。サンキューパパ!映画や撮り溜めたアニメやドラマを見るのはちょっとめんどくさいけど、楽しいの手前にはめんどくさいや怖いがある、というツイートを見かけて、確かにそうだなあと思った。ときどき映画館に行きたい。

4/21 くまと○○ちゃんと私の4日間

4/18 火曜日
くまが新しく来たおともだち、○○ちゃんのことを「きびしい」とコメントしていたので、理由を聞いてみると「みどりのかべ(トイレの)触ってたら『ぬかすで』っていわれたから」とのことだった。私はいやそれくまがトイレ並んでるときに他のことしてたから早くしてやってことちゃうのん…………と思いつつ、「そのこトイレいそいでたんちゃう?くまもはやくトイレ行きたいときあるやろ~」とだけ言った。
その時はくまはなんか言い返したの、と聞いたら、他の子が「あかんで!」と言ってくれたから自分はなにも言わなかったと言っていた。
この○○ちゃんはお兄ちゃんかお姉ちゃんが居て、ぬかしたりぬかされたりの喧嘩を割りとよくするのかなあ、と思った。くまは近い年代の子との喧嘩の経験が乏しい。

 

4/19 水曜日
くまと保育園から帰るときや、ご飯を食べ終わったあと、この○○ちゃんから言われた些細な報告が増えまくっていた。

「スプーンで(ごはん粒や残ってるおかずを)あつめるのはあかちゃんやねんで!」
「(くまの着てる妖怪ウォッチのピンクの服)かわいくない!」

などなど、些細なことをちまちま言われてるらしい。くまは泣くでもなく怒るでもなく割りと普段通りだった。
「あかちゃんやねんでっていわれたときは、ほかのこがあかちゃんっていうほうがあかちゃんやねんで!っていってくれた」
「○○ちゃんはぷりんせすがすきやねんて~」

こういうとき私もなにか試されてる……!と思う。○○ちゃんのことを否定するんじゃなくて、たぶんくまの行動を肯定する方がいいと咄嗟に思った。くまはくまの気持ちがあるし、○○ちゃんは○○ちゃんの気持ちがある。
「くまはスプーン使ってご飯きれいに食べようとしたんやろ?スプーンなしで汚くなるより、スプーン使ってきれいにする方がいいとおもう~」
「○○ちゃんはプリンセスが好きなんやったら、妖怪ウォッチとはちょっと違うもんな~他の子がかわいいって言ってるのかわいくないって言うのはちょっとよくないと思うけど、くまの服かわいいと思うし、くまもいろんなかわいい服持ってるもんな~」と言った。
なんか言い返した?と聞いても、スプーンのことのときは、「あかちゃんっていうほうがあかちゃんやねんで!って他の子が言ってくれた」と言っていて、くまは、なんて言ったらいいかわからへん、とのことだった。自分の気持ちを表現するのはいつになってもむずかしいよね。でも言い返してないのもちょっと心配だった。しね!とか言ってても困るけど、もしなにか言ってて言い方がよくなかったらそれは考えていけばいいけど、なにも言えないからのスタートはちょっと不安だなあ。子どもの報告はその状況を目の前で見てない限り、話し半分で聞くべきだとは思うけど、やっぱり心がざわざわする。

 

4/20 木曜日
朝の支度をしながら、くまが「くまが持ってるジジのタオルなんでそんなおっきいん?って言われた」と再び報告がある。そのあと「○○ちゃんが持ってたラプンツェルのタオルもおっきかったのにな…………」。細かすぎて大笑いしてしまって、○○ちゃんおもしろいね、と言ってしまったのだけど、この○○ちゃんになにか言われた報告がくまにとって「ママが笑う話題」として認識されたらどうしよう…………と仕事中にずっと悩む。悶々としながら過ごし、お昼休みに先輩に話してちょっとすっきりして、家に帰る。

お迎えに行ったとき、教室にくまたちが描いた新しい絵が張られていて、くまの絵を見たあとに「○○ちゃんのかいたえかたむいてる!」と言った。よくみると横向きの紙に縦向きで顔を描いていたのだけど、「いや、もしかしたら空飛んでる絵かもしれへんで、いいやんたのしい絵やん」と答えたけど、くまもなんだかんだで親には黙ってるけど、いろいろ誰かに言ってるのかもしれないなーと思った。
帰り道、「○○ちゃん、きょうビーフシチューおはしでたべるんやで!っておはしでたべてた」と言っていて、なんか言い返したのって聞いたら「スプーンでたべるんやで!」と言い返したらしい。なんや言い返せるやん!と安心したし、昨日のスプーンのくだりは、もしかして○○ちゃんはスプーンを持ってきてなくて、くまは持ってたから羨ましかったのかなって。○○ちゃんちょっと不器用だけどかわいいやつなのかもしれない。

家で、くまは○○ちゃんはおともだちじゃない、と言っていた。そりゃこれくらいの子でも友達とそうじゃない子がいるだろうから、それは否定しなかった。
ふと気づいたことがある。

前に、別の男の子に「うわぐつおなじえがかいてないのへん!」と言われて、寝る前に思い出してしくしく泣いていたことがあった。(くまは上靴の左と右に好きな絵をサインペンで描いてた)
その子のことはおともだちとして名前が挙がる子だった。もしかして、おともだちって思ってる子に言われるのはめちゃくちゃ落ち込むけど、そうじゃない子に言われるのはまだどっちでもいいのかな、と思った。逆に線引きというか住み分けができてるのならめちゃくちゃかっこいいし、見習いたい。

 

4/21  金曜日
「○○ちゃん、だれかのことおっぱいっていってたー!!」
もう心配しなくていいと思った。○○ちゃんにそのうち会えるのが楽しみになった。

 

4/16

先輩と3月半ばごろにちょっと喧嘩した。ここでいう先輩は職場の先輩だ。3月半ばの繁忙期だというのに私は暇だった。毎日毎日なんのために出勤してるかわからなくなった。出勤するだけでも疲れるので、家のことまで手が回らず、部屋は汚くなる一方だった。それが嫌だった。仕事がないなら家に帰りたかった。

先輩とお昼ごはんを食べながら、することがなくて困ってて、「わたしいらないんじゃないかと思います」と言った。そしたら先輩が「そういうのキライ」と言い放った。私は先輩からのキライにびっくりしすぎて返事ができなかった。キライって直接言われたらこんなに心に刺さるものなんだなと思った。

その話をなんとかやり過ごしながら考えた。確かに先輩はめちゃくちゃ忙しいのに、こんなときに後輩から暇すぎるわたしいらないんじゃないか、みたいな弱い言葉を投げられたらいらいらするかもしれない。けど、先輩はわたしの気持ちや立場がわからないし、わたしにも先輩の気持ちや立場はわからないから、分かり合うのはむずかしいかもしれない。だけど、それを埋めるために言葉があるはずであって、ていうか先輩は自分はいなくていいとか、そういう気持ち持ったことないんでしょ、自己肯定感半端ねえなキラキラ女子め!くっそー!!!!と思うと泣くしかなかった。先輩はもうインスタグラムの話をしていたので、びっくりしていた。そのとき考えていたことは言えなかった。暇だと他の人の嫌なところばかり目について辛いですとか、重要だけどいまこの時点では重要じゃないことを言った。

そのときのことを今思うと、ただ甘えてただけだった。ひとつひとつをできるだけ完璧に仕上げるようにするとか、もっとやれることはたくさんあった。仕事したくないからって言い訳だけを並べ続けてたなと思う。反省した。

4月の頭、先輩が酷い体調不良で4~5日休んだ。先輩がいないことなんて今までなかったから、変な感じだった。小さな部署で働いていて、身近な先輩はこの人だけだったから、細々した困ったことはぜんぶこの先輩に聞いてもらっていた。でも先輩はいない。変な感じだった。わたしは、先輩がいなくても、ひとりでできることをしなくっちゃと思った。前みたいに、甘えてる場合ではなかった。

久しぶりに先輩が来た。私はおかえり~!と迎えた。ほっとした。お昼ごはんの時、先輩は「わたしがいなくても仕事はまわるもんなんだね」とぽつりと言ったので、咄嗟に「わたしの気持ちがわかりましたか~!」と言ってしまった。そしたら「うん」と先輩は笑った。

わたしも先輩のあのときの気持ちがわかった。仕事があろうとなかろうと、そこに座ってくれてるだけでもとってもありがたいもので、安心できるってこと。いなくてもいいなんて言われると結構淋しいこと。あのとき喧嘩と言えるほどでもないけど、喧嘩してよかったな、と思った。いなくてもいいなんて、言うのはもうやめようと思った。事務補助の補助だから、コピーとかファイルの整理とか、小さな仕事がメインだけど、派手な仕事なんてひとつもないけど、自分の仕事はひとつひとつ肯定してあげたい。誰でも出来ることであったとしても。

4/10

最近、「あっわたし存在感もなくて幽霊みたいだから………」と自分を紹介するときにそう言ってるのを聞いた。「幽霊」「存在感がない」というワードを印象づけるために使ったのかな、と想像した。個人的な感覚だけど、そういう使い方をした場合だいたい悪い方に働く気がする。私は幽霊だなんて思ったことなかったけど、この人は幽霊なのか………と失礼ながら、すこし思った。自分で自分に「わたしは幽霊、存在感がない」という呪いをかけているような気がしてしまった。

そのとき、言霊ってほんとにあるんだな、とひしひしと感じた。それから、言葉が話せるということは、私は自分に呪いでも魔法でもかけることができるんだな。雑にまとめすぎだけれど、自分に言葉をかけられる人間全員魔法使い…………!と思った。

じゃあ自分になんて言葉をかけるといいんだろう。できるだけ新たな呪いはかけたくない。できたら魔法の言葉がいい。

「わたしはすごい!」うーん、使い方を間違えると周りの意見を聞かなくなったり、他人の努力を見過ごしたり、なんだか周りのひとを邪険にしてしまいそうだなあ。そういうのはよくない。なんか、無敵のやつがいいな。

2年くらい前だけど一緒に働いてたひとが、この人ここやめたらどこで働けるんだろうというくらい困ったひとで、いまはもう近くにいないのだけど、「私は新しい職場で活躍しています」と連絡してきたことを聞いた。
活躍しています、だなんて、私は使ったこともない言葉だった。一度でいいからなんの曇りも嘘もなく、言ってみたいと思うけれど、なかなか難しそうな言葉だ。これもある意味この人は自分にわたしは活躍してる、という魔法をかけてるわけなんだけど、私が自分になにか言葉をかけるならできるだけ、現実から離れてないものがいいな。自分で自分のことを活躍していますとはちょっと言いづらいし、だいたい活躍してるしてないは他人からの評価であって、自分で使う時点で使い方を間違えているような気がする、ので私は使えない。

いつどのタイミングで言葉を使うかにもよるので、一概に絶対これ!とも決められない。けど、もう少し言葉を大切にしようと思った。できるだけ誠実でいたい。