自分で自分の機嫌をとるということ

自分で自分の機嫌をとるというのはどういうことなんだろうと考えたのだけど、いまのところの答えとしては、自分で自分の楽しみを用意することだと思う。わたしのいまの楽しみは週末に仲良しのママ友とお茶するかもしれないこと、もしできなかったとしてもひとりでカフェに行くこと、東京事変のチケットの当落が控えていることかなあ。予定をちゃんと「たのしみ」として目の前に浮かべられるように、道筋を立てることも自分で自分の機嫌をとることに繋がっているような気がする。

 

https://telling.asahi.com/article/13042422

https://sheishere.jp/interview/201801-annaosada/

https://sheishere.jp/voice/201907-izumikuroi/

 

ネットでエッセイというかコラムを読むのが好きでほぼ毎日何かしらを読んでいるんだけど、リンクを貼った先のコラムに影響を受けているように思う。あと、仕事でパソコンの使い方について聞かれた時に(話しかけてきた人は50代の人だったんだけど)「わからなかったらまた若い人に聞くわ〜」と言われて、確かに私より若い人は会社にたくさんいるし、若い人にもう分類されなくなりつつある年なんだな…………となんだか愕然としてしまったこともある。3月で28歳になるのだけど、早々と母親になり、若いね〜!と言われて過ごしてきてたから、ちやほやされてたんだな、と今更になって気づいた。こういうものは順番なのでいずれはそう言われなくなる時も来るんだけど、そうなったとき、自分より年下の人にモヤモヤして妬み僻みをぶつけてしまう年上の女にはなりたくないし、他人の基準ではなく自分の基準で、やっぱり自分で自分の機嫌をとることが少しずつできるようになっていきたいと思う。(あと若い/そうでない、という分類はあまりしあわせを生まないのでやめたほうがいいかな、と思う。)とはいっても他人からの承認欲求だって必要なので、そこは仲のいい友達から力を借りつつも、自分で自分を満たせるようになったらいいなと思う。今年の目標はこれで決まりだ〜〜!

優しくされたかった話

元に戻りたくてしょうがなかったんだと思う。自分の気持ちを管理職に伝えて、管理職から当該の人(Aさんとする)に話がいって、Aさんはなにも話すことはありませんと言い、話し合いの場を設けることもしようとせず、事務所の空気がちょっとおかしくなり、管理職にもう一度話をするタイミングを一日中伺いまくって。今まで私が言わなかったからなんだけど、こんなことなかったから、落ち着かなかったんだと思う。だから、いつも通りに、元に戻したくてしょうがなかった。

 

私が管理職へ話し、管理職からAさんへの話があってから1日目はAさんから謝られて(こちらに口を挟ませる間も与えないような雰囲気だった)、それ以降は特に話さなかった。2日目は用があったのでAさんにこちらから話しかけたところ、相手側からも話しかけてくれるようになったので、それ以来今のところ(4日しか経過していないが)普通に会話をしている。なんとなく、お互い地雷を踏まないように。だけどそれくらいの距離感の方が、わたしはいいかなと思っている。うまくやれる気がしている。いつまで続くかわからないけど。

 

転機だったなと思うのは3日目に管理職をもう一度呼び出して、今後の方針を伝えたけれど、その話し合いがショックなものだったので、別の管理職(Bさんとする)に泣きながら電話をしたことだったと思う。

 

管理職を呼び出したのは、私がAさんにきつく当たられていたのは、私がAさんとコミュニケーションがうまくいかず話をしたくなくて、聞き流したりしているのが、またAさんとしては嫌だったのかな、だからまたきつく当たって、のループだったんじゃないかと思ったので、私の改善点としては、もう少し丁寧に接してみるということと、管理職に呼ばれて話をされたこともかなり本人のプライドを傷つけてしまっている気がするから、今後何かあれば私から直接話をするほうがいいのかもしれない、という話をしたかったからだった。管理職はだいたい同意してくれたのだけど、管理職とAさんと話し合いをした時に、Aさんから「こういう話し合いの場で自分の意見を伝えてうまくいったことがないから言いたくない」という言葉があったそうで、管理職はそのことを「Aさんにもそういう苦い経験があったから」と苦い経験として尊重しているところがどうしてもゆるせなかった。私は思いの丈をぶつけて話をしたのに、苦い経験があったからという思いで言わないAさんと同じように並べられている気がして、ゆるせなかった。ステージに上がってこない、逃げてるだけの人に居場所があることがゆるせなくて、かなしくなった。管理職はAさんに対して、話をしないと信頼関係も作れないし、子どもに関わる場所で働いてる以上子どもにも何かあったら話してねって言ってる中で大人は話さないっていうのはそれは違うということは伝えたと言っていたけれど、なんとなく言葉が入ってこなくて、ただただゆるせない気持ちでいっぱいになってしまった。

 

管理職を呼び出していたところをBさんが見ていて、なにかあったの?と声をかけてくれた。今後の方針を伝えたんですけど、詳細はラインで10000字で書いて送りますねと伝えたら電話にしてと言われたので、自宅に帰ってから電話で話すことになった。Bさんにはめそめそと泣きながら電話をすることが過去に何度かある

帰宅途中もゆるせないの気持ちでいっぱいになって、わたしはなにを満たそうとしているんだろうと思った。仕事を通して、自分の積み上げたものを使って、なにをしたいんだろう。もしかしたらなにもしたくなくて、わたしは実はからっぽで、ただ好きではない他人の山を踏み潰したいだけなのかもしれない。

 

電話をした。どこまで知っているかわからなかったので、まずどこまで報告として受けているかを確認し(ここまでが公式でここからオフレコで!みたいな)、経緯を説明した。やっぱり苦い経験として尊重されている、という話題になると涙が出てしまった。Bさんはただひたすらやさしく慰めてくれて、そうか、私に必要だったのは私がわたしを慰めることだったんだと気づいた。わたし、やさしくされたかったんだなあ。私が話したことは無駄だったんでしょうかなんだか私の独り相撲みたいだし、もうやっていけるかわかりません私大丈夫なんですかね、認められたいみたいな気持ちが強すぎて……自意識が強すぎるんですかね………修行に出た方がいいんでしょうか………とかいちいち言う度に繰り返し何度も私のいいところの話をしてくれてやさしかった。電話に出た時も明るく出てくれるから聞いてる人もきっと安心して話してくれてるんじゃないかなとか、いっつもなんでも真正面から取り組んでくれてるよとか、大丈夫だよって言ってくれて、ぶわーーーーっと憑き物が落ちていくみたいに喋って泣いた。淡々と処理を進めていくことも大切だったけど、自分が大怪我をしていたことに気づかなかったし、私がまずわたしに優しくすることが必要だったんだと思った。管理職を呼び出して話を聞いてもらうこと、Aさんにそれを伝えてもらうこと、問題に向き合うこと、それだけでも本当に大変だし傷つくし悩むししんどかったね、お疲れ様、大丈夫だよって言ってあげればよかったんだ。それだけでよかったんだな。

それから、慌ててたんだなということにようやく気付いた。急にポジティブになったりネガティブになったりする私の話を聞いて焦らずに、と言われて気づいた。焦ってたんだ。元の生活に戻したくて、早く答えを出したくてしょうがなかった。「元気にならなければならない」と思い込んで、そうなるための努力ばかりしていたけど、「元気でないわたしも共に生きていく」ためのことを考えるほうがいいんだと思う。どんなわたしもひとりも取りこぼさずに、生きていく方法を考えた方がいい。帰ってきてからも仕事のことばかり考えてしまう自分のことも嫌だったんだけど、それもわたしなんだから、いいよって私が言ってあげればよかったんだな。なにもしない自分のことも責めていたけど、別になにもしなくったっていいんだな。

 

しばらくは慌てずゆっくり過ごそうと思う。いつか、この経験が糧になる日がきますように。

2年近く黙っていたことを物事を動かしてくれそうな人に相談して、該当の人にも話がいったので、明日からどんな風に動くのかわからなくて、不安で眠れずにいる。だって今まで黙ってなんとかやり過ごすしかなかったのに、それを第三者を通して本人に伝えたり、周りの人に伝えてその人がなんとか動かそうとしてくれてるんだから。自分以外の人の手を借りることになって、なにか言われて黙ってるしかない……ってなったときにいやそれはおかしいんじゃない?ってほかの人がスッと入ってきてくれるとしたら、なんか、どんな顔してたらいいかわからない。これから解決に向かって物事を動かしていくことになるんだけど、でもたぶん解決しないと心の中では思っていて、それをはっきり、証明していくことになるかもしれないことが、こわいんだと思う。相手を変えることはできないし、わたしは何も悪くないのに、敗北したような気持ちになるのがこわい。何も悪くないよ本当に。相手の問題じゃないか。わたしが背負う必要なんかなにもない。

わたしは友達や周りの誠実な人たちが理不尽な目に遭ってるとものすごくむかつくんだけど、助けてくれようとしている人もそういう気持ちなんだろうか。そうであれば、その人たちのために、家族のために、なんとか元気でいようとは思う。

自分のこれからの方針が定まらないのもまた不安要素の一つで、このことを話す前も話した今もこれからも、わたしの接し方も行動も特に変わらないし、仕事をやっていくしかないから。

 

わたしがどうしたいかが今はよくわからずにいるので、ずっともやもやしたままだ。あしたはどうやったってくる。

1/4

自分のことを貧乏症だなあと思うことがよくある。映画館でジュースを買おうと思っても、スーパーに売ってるのと同じものだったら、そっちで買ったほうが安いからここでは買わないでおこうとか。食料品は美味しいと思うものを常に底値で買うことを目指しているところとか。(大好きなミツカンの鍋つゆ、近所だと税込300円だけど、少し離れたドラッグストアまで行くと税込250円なんだよなあ)(お弁当用の冷食は火曜日が一番安いので火曜日にしか買わない。もしくは税込150円以下を狙う)メルカリが好きなところとか。福袋を買おうと思っても(ミッフィーちゃんのパジャマで2着入って3000円)、パジャマって1着の底値っていくらくらいなんだろう?欲しい感じのパジャマが1500円より安いのか高いのかが分からないし、他にもっとかわいいのがあるかもしれないし、と他の店でもパジャマを見て、結局福袋が一番よかったので買ったけど、買うまでに時間を要したりとか。なんかこう、欲しい→買う!みたいなのをめちゃくちゃ恐れているところがあるし、めちゃくちゃ憧れているのだけど、そういうときに限ってリサーチを怠ると後でもっといいものに巡り合ってしまうこともあるので私にはどうもできない。そもそも3000円なんだしスパッと買えたらいいのに、自分のパジャマに3000円だとめちゃくちゃ迷ってしまった。貧乏症だなあ……………。

 

でも、貧乏症だと思うのも実は認知の歪みのような気がしている。ちょうお金持ちの人からすれば貧乏症だけど、主婦の人から見ればしっかりお金のことを考えて物を買ってると思われるかもしれないし、お金の管理が苦手な人からすればそんなのできないからすごいねって思ってもらえるかもしれない。結局「誰の目線」で物を考えるかにもよるし、貧乏症だなと思う時は「めっちゃ年収があって、お金に困ってなさそうな人」(悪いように考える時はふんわりした妄想をしがち)からの目線を想像しているんだろうな。しいたけ占いのしいたけさんも魚座は「自分のお金を払うことや時間を使うことにかなりセンシティブな感覚を持っています」と書いてくれていて、私が貧乏症だと思っているのはしいたけさんからするとセンシティブな感覚なので、考えようだなと思う。なんとなくだけど、私の買い物スタイルがこれだから、年収が増えたところで悩むのは変わらないし常に欲しいものの底値を狙いに行くのは同じなんだろうな。値段の幅がある中で一番底値で買うことを「美しい」としているところがある。お金がないを言い訳にしてるだけで、結局このやり方が合ってるのかもしれない。だけど物を買うとき、ものすごーーーーく毎回悩むし、ものすごーーーく疲れるので、悩んだだけの節制効果が得られているといいな。そしてそれがもう少しわかる家計簿作りをしたいな。(先月の家計簿と見比べればいいだけなのでは?)

 

義両親がルコックのスニーカーをお年玉代わりにと買ってくれた。一緒に靴屋さんに行って、ドラえもんのスニーカー(2000円くらい。安くてかわいい)(靴をすぐだめにしてしまう傾向があるので高いものに手を出せない)(おそらく気に入るとそればかりを履いてしまうからだとおもう)を買おうと思ったのだけど見当たらなくて、そういえば広告で見たニューバランスのグレーとピンクかわいかったよなあなんて思いながらルコックのコーナーに立ち寄った。半年以上気になっていて、スニーカーが軽くてかわいいのでいつか欲しかったのだけど、7000円………くまの靴だったら2足買えちゃう………普段の私の靴だと3足買えちゃう………などと思って手が出せなかった。義母と見ていて、ほんっとに何気なく「かわいいからお金貯めて買っちゃお〜〜〜!」と言ったら買ってもらえることになった。まじか。半年以上憧れていたスニーカー、こんな一瞬で購入が決まるのか………。靴を選び、色を選び、買ってもらった。ありがとうございます。次の日に早速このスニーカーを履いて出かけた。ずっと履いてるスニーカーがだいぶ汚れてたんだけど、スニーカーが一足しかなくて、それを履き続けざるを得なかったので(だからすぐボロボロにしてしまう………)、ようやく洗えることがまず嬉しかった。高いスニーカーを持っていたことも履いていたこともなかったのでそわそわした。(ルコックで高いって書くとなんかもうほんと生活レベルバレるし、もっと高い靴持ってる人からすれば、恥ずかしいことのような気がしているのだけど、たぶんこの表現を避けないで書いたほうが、後々肯定できる気がするのでその辺りは避けずに書く)だけど、いい靴を履いたからといって洗い替えができる以外になにか変わるわけでもないし、洗い替えが欲しいならいい靴である必要もないし、元々好きな靴を履いていたんだから、好きな靴が新しく増えたということだけが事実なんだなあと思った。ブランドの靴にめちゃくちゃコンプレックスがあって、やたら人の靴ばっかり見てしまうこともあったんだけど、みんな好きな靴を履いていただけなんだな。そしてやっぱり私は脳内に「自分よりもっと年収の高くてブランドものをたくさん持っていてちょっと安いものをバカにしている人」を脳内に飼っているらしい。追い出せ!

大森靖子 クリスマス プレミアムコンサート“真っ赤に染まったクリスマス”@サンケイホールブリーゼ20191220

先週の坂本真綾ちゃんのツアーの余韻を残しながら、やっぱりライブって最高だな〜という気持ちと共に大森靖子ちゃんの「真っ赤に染まったクリスマス」を見に行った。はじめてのオーケストラ編成のコンサートで、これは絶対に見に行きたい!!!とチケットを取った。チェキ券付きのSS席がよかったのだけど、あっけなく外れてS席で見ることになった。残念だったけど、見に行けないよりいいから、となんとか前向きに考えることにした。うそ、靖子ちゃんとお喋りしたかったし、ライブの感想、できたら直接伝えたかったなあの気持ちでいっぱいだった。

会場に向かいながらオーケストラといえば、といろいろ考えていたんだけど、思い浮かんだのは涼宮ハルヒの弦奏という、ハルヒの音楽のオーケストラアレンジのイベントだった。動画でしか見たことがないんだけど、ハルヒのキャラソン長門有希ちゃんの曲がめちゃくちゃ好きなので、ずっと頭の中に流れていたBGMは「雪、無音、窓辺にて。」だった。長門有希ちゃん演じる茅原実里さんもすごく好きだったので、spotifyで探すと聴けることが判明したので、何曲か聴いて懐かしさに浸っていた。

靖子ちゃんのライブはCOCOROMツアー以来だったので、気づけば1年半ほど空いてしまっていた。SS席が外れてしまったことと久しぶりのライブなこともあり、今回は「初心に戻って聴く」を自分の中のテーマとして挙げることにした。はじめて大森靖子ちゃんを見たのは2015年4月の洗脳ツアーの梅田AKASOで (今回も会場は梅田だし)、その時は誰も知り合いがいなかったし、そもそもライブハウスも初めてだったし、歌ってる靖子ちゃんは一瞬しか見えなかったし、はじめて尽くしだったけどすごく嬉しくて楽しかったので、そういう気持ちで見られたらいいなあと思った。なので会場で何人か知り合いを見つけても相手から声をかけてもらえない限り声をかけないことにしていた。なんのプレイなんやろ………いや初心に戻るため…………と今思えば訳の分からないことをしていた。

ドレスコードは赤だったけど、赤の服を持っていなくて、だけど気にいる赤にも出会えずで、お気に入りの黄色のワンピースにしようかと思ったけど、それもどうかと思い、結局手持ちの赤のニットと緑のワイドパンツで参加した。赤緑でせめてクリスマス感を出したかった。

 

1曲目から「呪いは水色」でグッときてしまった。初めての洗脳ツアーの頃もずっと聴いていた曲なので、1曲目から自分のテーマにぴったりすぎる曲で鳥肌が立った。やっぱりこの曲好きだな〜と思ったし、「生きている/生きてゆく/生きてきた/愛の隣で/私達はいつか死ぬのよ/夜を越えても」ってこないだの真綾ちゃんのライブでも「生きている」っていうワードが自分の中ですごく引っかかってたので、もう答えが出てしまったというか、あっさり正解を出していく靖子ちゃん、やっぱりすごいなあという気持ちだった。まだ1曲目なのになあ。そこから「ノスタルジックj-pop」と「絶対絶望絶好調」と洗脳の曲が続く。ノスタルジック〜は初めて私が靖子ちゃんのことを知った曲なのでこのタイミングで流れてきたことが本当に嬉しかったし、絶対絶望〜はオーケストラアレンジにしたらどうなるんだろうと思っていた曲なので聴けてうれしかったなあ。サビのとこの音がめちゃくちゃ細かい。ごめんね素直にいえなくてのとこのあの音の下がっていく感じとか……普段聴いてない音が入ってくるのがおもしろかった。「JUSTadICE」「LOW hAPPYENDROLL」はどっちも直接聴くの初めてだったんだけど、「JUSTadICE」はこんな風になるんだ………………っていう驚きがあったし、「LOW hAPPYENDROLL」は聴きたかったのでうれしかった。ライブに来るのが久しぶりで、その間にどんどん新しい曲達が生まれていくから初めての曲もすごく多くて「family name」「きもいかわ」「死神」、音源化されてない新曲などなど、噛みしめる前に圧倒されて終わってしまった感じがあるので、オーケストラコンサート毎年やってほしい。「きもいかわ」のとき、靖子ちゃんが客席に降りてきて、空いてる席に立って歌っていたのだけど、ホールで客席で立って歌う人ほかに知らないし、靖子ちゃんのコンサートだなあという気がした。衝撃的で雰囲気に飲まれてしまったのは「7:77」で、やると思ってなかったし、こ、これが7:77………!!!!!!!!!!!!!と思ってるうちにコールもせずに終わってしまった。ただ「運命も/必然も/全部全部関係ない/ただ側にいる全部/YESだ/絶対絶対」なんていい歌詞なんだろうと思ったし、コンサートに来る前より確実に「7:77」のことが好きになった。「ミッドナイト清純異性交遊」はやっぱり自然と身体が動くし手は伸びるし、身体が覚えてるような感覚だった。「春を殺して夢はひかっている」いい歌詞だなあ………。

坂本真綾 LIVE TOUR 2019「今日だけの音楽」@フェニーチェ堺 20191215

坂本真綾ちゃんのツアー「今日だけの音楽」を見に行ってきた。11月末に発売された「今日だけの音楽」のアルバムを引っさげたツアーで、またこのアルバムがめちゃくちゃよかったので、生で聴けるのがとても楽しみだった。真綾ちゃん、また歌上手になったのでは……!!??と思うくらい透明感の増した歌声で、常に「今がいつも一番輝いている」ひとだと思う。

前日にパパが参加していて、「2列目だったけど前列の席がなかったからほぼ1列目で見れた」「ただ映像の演出があるから全体で見られるほうがいい」などの話を聞いていたけど、パパはアルバムをほぼ聞かずに参加して「いいライブだったよ」と言っていたので、期待は膨らむばっかりだった。私が行く当日の朝、頭が痛いという話をしたら「え!ママ家でゆっくりしたらいいよ〜〜〜!代わりにパパが行ってくるし!!パパはママにゆっくりしてほしいから!!!!」とチケットを強奪されそうになったので死守した。渡しません。

フェニーチェ堺という新しいホールでの公演だったのだけど、元堺市民会館のあった場所で、高校の時に人権学習のなんちゃらで行ったり何かしらで行ったりしたことがあるところだったので、エッ地元に真綾ちゃん来るのやばくない??????という気持ちでいっぱいだった。地元に真綾ちゃん………………。大阪の中心地でもなんでもないところなのに………。結婚して地元を離れてからこの周辺には行ったことがなかったので、随分久しぶりになってしまった。改札から降りて大通りに出た時、なんとなく記憶の中にある街並みのような、でもちょっと変わっているような。懐かしい気持ちになった。行きたいパスタ屋さんがあったので、高島屋に寄ったけれど、そこは記憶よりも全然寂れててびっくりした。目の前の道だってもっと人がひしめき合っていたような気がする。よく行っていた楽器店にも行ったけど、古めの楽譜が置いてあって、電気に近いところに置かれているからか若干変色していて、この楽譜たちは長い間ここにいるんだな……と思った。

会場に向かうとき、今回のグッズの鞄を持っている女性がいたのでついて行って無事に辿り着けた。道まではさすがに覚えていなかった………。フェニーチェ堺、SAKAIではなくてSACAIなのが若干ウケる。

 

私の座席の16列目、ちょっと遠いかなと思ったけれど、全体が見渡せてちょうどよかった。心を落ち着けつつ開演を待つ。朝からずっと落ち着かなくて、落ち着かない中で家を出るために洗濯と買い物と晩ご飯作りをしてきたけど、なんで私がやらなあかんのや???わたしが家を空けようとしたらなんでこんなにいろいろしてから出ていかなあかんのや????と思って家族に当たり散らしてしまったので、イベントがあって落ち着かない日はできるだけ何もしなくていいような仕組みを作りたい。

 

真綾ちゃん、コンサートと呼ぶべきかライブと呼ぶべきか悩むんだけど、最近はライブ感が増してきているのでライブと呼びたいのだけど、めっっっっっちゃいいライブであっという間だった。曲順とかもうぜんぜん覚えてないんだけど、まず生で聴く「今日だけの音楽」の曲たち、とってもよかった。音源で聴くよりもっともっと美しかった。

アルバムの2曲目に収録されている「Hidden notes」、絶対聞きたかったんだけど、ツアーでも2曲目で、美しくてうっとりした。この曲の何が好きって1番のサビの「あなたは生きている そう生きている 今日だけのあなたを」なんだけど、この曲のほかに今年出たシングルの「宇宙の記憶」でも「あなたは生きている」って真綾ちゃんは歌っていて(歌詞を書いたのは林檎さんだけど、真綾ちゃんにこういう歌詞を書いたのがさすがだな……!と思う)「今を生きている」っていうのは真綾ちゃんが歌っていきたいことのひとつなのかなあとも思うし、わたしが同じことばっかりぐるぐる考えてると進んでない気がして生きてるとか死んでるとかも思わなくなるんだけど、はっきりと「生きている」って歌ってもらえると、ちょっとずつでも進んでるのかなと思ってはっとするし、望みが出てくる。のでとても好きな1曲。「ユーランゴブレット」「お望み通り」「火曜日」、聴きたい曲がいろいろ披露されて、難しい曲も歌いこなす真綾ちゃんすごかったなあ。音源で聴いてたときよりずっと好きになったのは「トロイメライ」で、6〜7曲目までずっと座ってたけど、トロイメライが始まった瞬間何人か立ち始めてわたしもたちたーーーーい!!!!!!!と思って速攻立ってアップテンポな曲だから身体揺らすわ腕上げるわでホールなこともすっかり忘れるくらい楽しんでしまった。ブーツで来たことを後悔した。足痛い。そしてもっと薄着で来るべきだった。

それから、懐かしい曲たちがいくつか聴けたことがよかった。長くライブに通うことの利点として、随分前に世に出た曲が生で聴けることだと思うんだけど、「cloud9」「秘密」「ソラヲミロ」「月曜日の朝」がめっちゃよくて、今感じた気持ちは本当にいまこの瞬間にしかないものだし、「今日だけの音楽」だなあと思った。そしてイントロでおおおおおって鳥肌が立つ感じが!もう!ライブでしか味わえない気持ち……!「月曜日の朝」ってもうまず何年も再生してないね!!!???懐かしすぎるな!!!???どうやら日替わり曲だったようで、「青い瞳」「ともだち」ときて「月曜日の朝」だったそう。「ともだち」もライブで聴いたことない………レア…………。「秘密」も今聴くとまたグッとくるし、「たいていのことならもう我慢できる/こんなことを強さだというの/偽善者」って、なんかすごく考えさせられる…………。「ソラヲミロ」もこんな力強い曲だったっけ!?っていう……よかったなあ…………。

真綾ちゃんがMCで人生で歌いたいことは3つくらいしかないという話をしていて、やっぱりそうだよねえと納得しつつ(例えば2007年にリリースされたアルバムに入っている、ユニバースの「本当の答えは自分の中にあるの」、2016年にリリースされたMillion cloudsの「美しい世界は遠くにあると思った/船を待つ人魚のように/生まれて初めてそうだと気がついた/今」、わたしは足りないものばかりを探して落ち込みがちなのでグッとくる、足りてないものはちゃんと持ってるって信じる気持ちだけだと思うから)、だからこそ信頼できるし、ちょっと離れてた期間はあったけど、また戻ってこられるんだろうなあ。ほんとにほんとにあっという間のライブでめちゃくちゃよかったです。

 

あとここからはちょっと楽しくない話も含まれてくるんだけど、二曲くらい手拍子するには難しいのでは?というか4拍子の曲じゃないよね?みたいな曲で手拍子が始まって、でもお客さんもおかしいと思ったのかだんだん手拍子が消えていってて手拍子もまた音楽の一部であり生きてるな……としみじみ思った。それから終演後出口に向かっている時に、後ろにいた女性が「みんな立ち始めちゃった時、立たないでー!」って思ったと言っていて、私は立って見たいし腕もがんがん突き上げてたいタイプだけど、真綾ちゃんのライブはどんな曲もゆっくり座って噛み締めて聴いてる人が多いような印象だし、寧ろこういうお客さんのほうが大半だろうから、むずかしいなあと思った。前回のファンクラブイベントもライブハウスだったけど、後ろのお客さんは見え辛くてちょっとそこがな……みたいな話もいくつか見かけたし(私は躍り狂えたのでさいっっっっこうに楽しかったんだけど)、むずかしい。そしてファンクラブイベントのときよりは控えたけど今回もまあまあ飛び跳ねたし腕もあげてたけど、私が見える範囲では0.3%くらいの人間しかやってなかったので、たぶん真綾ちゃんのライブでそういう風に過ごしてたい人間はそんなにいないんだとおもう。でも真綾ちゃん、期待は裏切っていきたいと言っていたので、またライブハウスでのライブお願いしたいな〜〜!

デビューライブ且つ解散ライブに参加したはなし

Twitterで300人の吹奏楽経験者と、100人の初心者の400人で合奏するブラスジャンボリーというイベントを見つけたので行ってきた。私は鍵盤楽器以外に触れた経験がなく、中学の頃吹奏楽部に入りたかったのだけど吹奏楽部はなかったし、高校はあったけれど母親に「え〜中学からやってきた子らばっかりちゃう?」と言われて確かにな………と納得したため、吹奏楽部に入ることはなかった。(もし私が親の言うことを聞かないタイプの子どもだったらおそらく吹奏楽部に入っていただろう)けれど、吹奏楽部や合奏への憧れをなんとなく捨てきれていなかったようで、この初心者コースだったら参加できるのでは……??と思い、2〜3日悩んだ末に申し込んだ。初心者コースは2〜3時間インストラクターの方から指導を受けて、リハーサルをして、コンサートの本番に臨むという内容で、4500円するし、1人で参加することになるし、未知の世界だし、そもそもできるのか……?と思ったけれど、他の楽器に触れてみたかったし、なかなかこんな機会もないし、なによりわくわくしたので、そのわくわくに賭けてみた。あんまり見通しがきかない新しいことをするのが得意ではないのだけど、今回はそれに賭けてみたかった。トランペット、サックス、フルート、クラリネットの中からひとつ選んで申し込むのだけど、初心者コースで演奏するのはミッキーマウスマーチだったので、マーチだしトランペットがいいな〜〜!と思いトランペットを選んだ。結果として行ってきてめちゃくちゃよかった!!!サイコー!!!!!また今度見つけたら絶対行く!!!!!!撮ってもらった写真も加工してラインのアイコンにしちゃう!!!!!くらい浮かれてしまったんだけど、(ライン繋がってる人はアイコン見て欲しい)、音楽はやっぱりたのしい。

 

当日受付からレッスンがスタートするまで2時間くらいあって、結局何時に行けばいいのかもよくわからず、お昼も食べたいけど、あんまり行ったことのない地域だし食べたいお店いろいろ探してるけど辿り着けないかもしれないし…………と調べれば調べるほど、考えれば考えるほど疲れてしまい、始まる前から疲れてどないすんねん!!!!と思ったので11時ごろに着いて、そこからどうするかはまた到着してから決めることにした。目的地のそばに調べて目をつけていたカフェがあったのでそこに入った。カウンターに通されて、その席は目の前でお姉さんがピザを窯で焼いていたのでじっと見ながら料理が来るのを待った。ピザ、頼まなかったけどおいしそうだなあ…………。休日のおしゃれなカフェでひとりランチ最高〜〜!!!!と思ったし、次は友達と来たいな。 

とりあえず受付を済ませた方がいいのかな、と思ったので早々にカフェから出て受付をしたけど始まるまで時間があるからまた時間になったら戻ってきてくださいと言われ、だけどうろうろして迷うのも嫌なので、会場の前に何人の人が座っていたので同じように座って本を読んだ。原田マハさんの「さいはての彼女」、ずっと買って置きっぱなしにしていたのでようやく読めた。そんなに寒くもなかったのでゆっくり読めた。外で読む本ってすばらしいなあ。

 

時間になったので建物の中に戻り、レッスンが始まった。老若男女問わず参加してるような感じで、参加したいという意思だけあれば他は何も問われていない感じがとてもよかった。すごく雰囲気のあるホールでのレッスンで、インストラクターのお姉さんがめちゃくちゃかわいい………と思っていたのもつかの間、トランペット、まっっっったく音が出せない。歯を開けて唇を閉じて少しだけ息を出して吹く、まっっったくできない!!!音にもならないよくわからない音しかでない!!!他の人はどんどん音を出せているのに………なぜ………!焦る!エレクトーンにしろピアノにしろ、そもそも出したい音が出ないなんていうことが有り得ないので、音を出す段階からむずかしいことがあるという世界を知った。まともに音も出てないままミッキーマウスマーチのレッスンが始まってしまった。トランペットにおける「ド」は鍵盤楽器でいう「シ♭」ということをはじめて知り、一体いま出す必要のある音がなんなのかもわからなくてしばらくパニックだった。譜面に書いてあるのは「ド」、だけど今出すべき音は「シ♭」………!エレクトーンやってるし、音楽にはそれなりに触れてきているはずだけど、はじめて吹くトランペットの前では全く役に立たなかった。寧ろ知ってるが故の弊害すらも感じた。だけど、曲が始まるとこの音を出したい!という気持ちが出てくるのか、初めの頃より徐々に音が出せるようになってきた。すごい。はじめて触る楽器でも簡単な音だったら2〜3時間で出せるものなんだな………!そして唇がめちゃくちゃ痛い。

あっという間にリハーサルで、300人の吹奏楽経験者の方々がいる部屋に移動した。既にリハーサルが始まっていたので、部屋に近づくにつれて演奏が聴こえてきていて、どきどきした。初心者コースは初心者コースで固まって座り、経験者の方々が吹いてるのをめちゃくちゃ近くで聞いていたのだけど、やっぱり人数が多いので迫力もすごかった。そして指揮者の先生の指揮!!!!昔から指揮をする人にめちゃくちゃ憧れていて、今回の先生も身軽で楽しそうでとってもよかった。ずっと先生の方を見つめてしまった。経験者コースの方々はあらかじめ曲目が指定されているので、各自で練習をして、当日に初めて集まって、リハーサルで指揮者の先生に指導をしてもらって、本番を迎えることになっている。指揮者の先生が「今日はみなさんのデビューライブ且つ解散ライブとなります」とお話しされていてまさに!!!と思った。今日一日、音楽のために集まったひとたちで、この人たちで集まることはもう二度となくて、坂本真綾ちゃんの新しいアルバムのタイトル、「今日だけの音楽」がぴったりだなあと思った。経験者の方は何曲も吹くけど、初心者コースは1曲だけで、だけど、「今日だけの音楽」に少しでも加われるのがうれしかった。ハンドクラップをする場面もあったんだけど、ハンドクラップも充分過ぎるくらい音楽の一部なんだな、と思った。

本番はお客さんもたくさん入ってきて(おそらく参加者の家族がほとんどだとは思うけれど)、アナウンサーの方が司会をされて、指揮者の方がいろんなお話をされるコンサート形式で、自分の番以外はずっと観客だったし、観客にも演者にもなれるのがよかった。リハーサルのときには席に座っていなかった翼をくださいで歌ったのめっちゃ気持ちよかったな〜好きな曲だな〜!吹奏楽では有名らしいけど全然知らなかった宝島も聴けてよかったなあ。ほんとに行ってよかったなあ、と思う一日でした。

 

この日のことを思い返してみると、トランペットの音を出すには、私が積み重ねてきた経験も肩書きもなにも必要ないというかそもそも生きてすらこなくて、ただただ「わたし」がトランペットに向き合っているだけでよかったし、それがとても心地よかった。期待してないしされてないのがよい、みたいな。ライブを見ている時も、こんな気持ちになる。ただそこにいるだけでいいというか。音楽は家庭にいるときの私や仕事のときの私、いろんな私から解放してわたしに戻してくれるものだったんだな、と思った。そしてこの日に読んだ「さいはての彼女」がまさに自分へと戻っていくための旅のお話で、大切な本がまた一冊増えたな、と思った。